KGKヒデ主事の徒然日記

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男合宿その?

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昨日からの続きです。

2日目はローマ人7章のパウロの苦悩の喘ぎにも聞こえる
「私は自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を
行っています。」という叫びから、
神と格闘することとは何かを学んだ。
また、続く8章(正確には7章25節から)で、パウロが自らを
「圧倒的な勝利者」と宣言する。
そうした7?8章の流れから、僕らは格闘だけに終始せず、
既に「圧倒的な勝利者」であることの事実と希望を学んだ。
だから、僕らは神様との格闘から逃げずに向き合っていくのだ。

参加したある学生が、

「これを有志にしておくのはもったいない」

と熱を込めて言っていた。

僕もそう思う。

こうしたテーマを学生たちは同性同士で腹を割って
語り合い、聖書から深く学ぶことを欲している。

「THE男」のような男性論を学ぶブックレット(名称は気にしないで?)が
あれば良いな?と思う。

実り多き合宿でした。
講師なだけにね(わかんなくても気にしないでね?)



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男合宿その?

CIMG2407_convert_20081201004908.jpg
関東地区の学生たちの有志企画により、
男合宿が行われた。

テーマ:「マジで向き合ってういっしゅ」

軽そうに聞こえるが、目指しているものは
1日目「神賛美へと向かう女性との交わり形成」
2日目「神との格闘から導かれる神賛美」
と重厚だ。

初日は創世記から神のかたちに造られたことの意味、
女性が「ふさわしい」「助け手」であることや、
「あばら骨」から造られた存在であることの意味、
そして、男女の同等性と男性の主導性などを学んだ。

女性がどのような存在であるかを知ることにより、
男性は女性との交わりを形成していくのにどうあるべきか、
何をすべきかを教えられた。

また、男性がどのように女性との交わりを自分の都合の良いように
用いてしまうかということも、学生が作ったDVDや卒業生の証しを通して
吟味させられた。

僕のグループで話の中心となったのは、女性をどのように見ているかという
女性観のことだ。

この女性観の歪みが様々な罪を引き起こす。

男性は「あれをしてしまわないように」という誘惑を避けることだけではなく、
この女性観の歪みが取り扱われていくことにも問題を持つべきなのだと思う。
そうしたことが女性との交わりを真に建て上げるものとなっていくのだ。

明日へ続く
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教会のルーツを訪ね求めて

seikei.jpg
「日本聖契キリスト教団設立50周年記念誌」
というものがある。

ここには私の教会の始まりが記されている。
もちろん、この教団史をもって、私の教会の歴史と
することはできないのだが、自分の教会の歴史の
一端を知ることはできる。

私たちクリスチャンは、自分の信仰は自分で自覚的に
得たものだと思う節がある。
確かにそうとも言える。

しかし、自分の教会が所属する教団や教派の教理的・信仰的立場によって、
私たちの信仰が形成されている面もある。

教会のルーツを辿るとは、自分の信仰のルーツを辿ることなのだ。

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監督論と主事論

野村監督
写真に驚くこと無かれ。
(最後まで読めば、写真の意味がわかります)

今日は発送作業日。

卒業生、教会の皆さんに、コイノニアや協力会ニュースなどを
発送するための作業日である。
関東地区の主事と全国の事務局主事が総出で発送作業に当たる。

基本的に単純作業なので、手を動かしながら、主事たちは色々な話に
興じることができる。そして、こうしたところで話されることが、意外と後々まで
財産となったりする。だから、僕はこの発送作業日が楽しみなのだ。

今日は僕が一昨日書いたブログから、「スポーツの監督の指導スタイルから、
主事としての働き方にも通ずるものがあるのではないか?」という話になった。

おもに、野球とサッカーの監督に集中した。

数年前までは、Bクラス(4位以下)常連のチームだった阪神、ロッテ、日本ハムが
どうして優勝争いをするチームになったのか?
なぜ監督が替わっただけでこんなにも成績が替わるのか?
ということに興味を覚えた。

阪神の星野仙一、ロッテのバレンタイン、日本ハムのヒルマン。
ついでに、中日の落合監督と楽天の野村監督も挙げたい。

皆、選手のやる気をうまく引き出していることは共通している。
引き出し方はそれぞれ。

・闘将と呼ばれ、選手の情に訴える言葉を持っている星野
・既成概念を壊し、新しいことにチャレンジするバレンタイン
・選手との交わりを大切にするヒルマン
・若手・ベテランという基準ではなく、上手い選手を必ずスタメンで使う落合
・智将と呼ばれ、データ野球で選手に自信を持たせ、ぼやきで選手を鼓舞する野村

この評価が当たっているかはわからない。
今後、もう少し詳しく調べてみたいと思う。


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等々力渓谷

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「つらくはないわこの東京砂漠?♪」

と、ちょっと強がらないと生きていけないのが東京ですが、
東京23区にも「渓谷」と呼ばれる都会のオアシスが
あるんです。

「等々力渓谷」

お隣は川崎という世田谷の中でも端っこに位置するのが等々力。
環八が通っていたり、東名がすぐ近かったりと、自動車の往来がわりとある地域。
そんな等々力に「オアシスなぞ、あるのか?」と思い、確かめに行きました。

入り口は小さな階段。そこを降り始めると朱色のゴルフ橋の下をせせらぐ谷沢川。
コンクリートで両端を塗り固められた川にはない優しさがある。
その渓谷を包み囲む緑と赤みが混じった木々たち。
この小さな階段が、別世界へと誘っていくのだ。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」

そんな新鮮な驚きである。

平日の3時くらいだというのに、この秘境を目当てに来ている若者が僕のほかにもいた。

こんなにべた褒めすると、少々誤解される恐れがある。

通行人には、明らかに等々力駅からの帰り道の人もいた。
ここは世田谷区等々力、町中なのだ。

渓谷沿いにしばらく歩くと、緑色の高架が見えてくる。
その上を走っているのは、環八だ。
そう、ここはいわゆる渓谷ではない。「都会の」渓谷なのだ。

しかし、だからこそ

「つらいよ東京?」

と逃避行したくなった時には、おススメなスポットなのだ。


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今日は9人!主事会ベースボール?

野球
KGKの働きは全国へと広がっている。
主事も各地域に立てられている。

今日は東北地区のN主事が、
明日の東京での仕事に合わせて、
一日早く来て、関東地区主事会に
出席してくださった。

総勢9人の主事会。
3人寄れば文殊の知恵と言うが、
9人寄ればどんな知恵になるだろうか?
と思うが、関東地区主事会は
知恵に満ち溢れた頭脳派集団というよりは、野球選手だ。
(別に、肉体派の主事会だという意味ではないですよ?)

誰かが全力で「これだ!」という球を投げてきたら、
相手も全力でその球を打ち返してくる。
主事会は野球なんだと思う。

これは刺激的で魅力的でもある。

でも、自分が投げた通りにボールがミットに収まるとは限らない。
主事会は強打者揃いだ。
時に自分の決め球をホームランされて、思わぬ形に結論が
至ることもある。

しかし、また、それが良いんだろう。
ピッチャーは、自分がホームランを打たれたときの球ほど、
鮮明に残り、糧となるものだ。

今日はいつもより熱を帯びて球を投げたような気がする。
僕はまだ、「直球をラミレス選手に試したいです」というような、
入団3年目の血気盛んな投手なのでよく打たれる。(と自分では思っている)

でも、そうした不器用な投手を「今日は見逃し三振」にしてあげようと
下手に甘やかすのではなく、いつも豪快に、またシュアに、しぶとく
打ち返してくれる主事たちである。

だから、主事会ベースボールは楽しい。
慣れるまで、時間はかかるだろうけどね。


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雨ニモマケズニ加入史

雨
KGKは会員制をとっている。
こう聞くと、「どんな特典があるの?」
と思うかもしれない。
しかし、KGKでいう会員制とは、KGK運動を
担っていくことへの積極的かつ責任ある応答である。
KGKが60年続いてきたことには、こうした会員制を
とっていることも一つの要因と言えよう。

今日は家に篭って、当時の総会資料から
加入問題委員会の歴史を読み耽っていた。

この加入問題委員会が、
KGKの会員になるに当たって生じる
様々な事務的手続きおよび問題に対処する委員会なのだ。

これだけを聞くと、この委員会は事務的手続きを行う委員会と
お思いになるだろう。しかし、歴史を辿ると、それだけの働きに留まらない。

歴史を振り返る中で、この委員会の特徴として3つのことに気づいた。

? KGK運動を担うもの(会員)がさらに起こされるようにアピールしていくこと
? 会員がKGK運動(スピリット、信仰基準など)を深く理解すること
? KGK運動の前進のために、より相応しい組織体として成熟していくこと

KGKの会員になるとは、学生時代に、こうした委員会を通して、
KGK運動をより深く理解するチャンスなのだ。

そして、KGK運動を深く理解することは、卒業後の実りへとつながる。

主事になって本当にそう思う。
このことに気づけただけでも、主事になってよかったと思う。

この委員会は単なる事務機関としての役目に留まらない。

「う?格好良い?」

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元KGK主事との交わり

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今日は玉川神の教会の礼拝説教奉仕の後、
シオンの群れ中野キリスト教会でのCSK賛美集会に
中高課のスタッフとして参加した。

その後、元KGK主事のYさんとお会いして、
来年度の働きの相談と交わりのひと時を持った。
@高田馬場のねぎし(写真は僕が食べたもの)

「情報提供をするのが僕の主事論だからね?」

と言っていたのが、印象深かった。

この言葉は学生時代の頃を振り返ると確かに頷ける。
Yさんは僕のブロックの担当主事だった。
自分の視点では気づかないことをブロックの役員会に
アドバイスしてくれたなーとしみじみ思う。

とはいっても、当時の僕は、ミーティング中に
いちいち脱線させようとする学生であり、
「お前は何をしにきとるんじゃ!」と
物申したくなる学生だった。
実際、Yさんに怒られたこともあった。

そう思うと、今、自分が主事であるのはミラクルですよ。
神様の憐れみに感謝するのみですよ。ホントに。
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地区役員合同委員会

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再来週の土曜日に、関東地区の学生総会が開かれる。
合同委員会とは、そのための下準備の時でだ。

僕は開会に当たって、使徒の働き14章26?27節から
短く説教した。

第一次伝道旅行から帰ってきたパウロとバルナバたちは、
主の恵みに委ねて送り出したアンテオケ教会に報告した。

それは
「神が彼らとともにいて行われたすべてのこと」(27節)
だった。

迫害の苦難の中でも、アジアの諸地域にキリストの教会が
建てられていったのは、神が彼らとともにいて行われた恵みである。

総会では、地区役員を通して為された神様の恵みの御業の報告を
聞く時なのだ。

彼らの報告に期待して。

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北陸宣教について考える

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毎年、関東地区では11月に世界宣教月間として、
各ブロックで学びや祈りの時を持つ。

私の担当する伊勢崎線BLと多摩BLが合同で
「北陸宣教について考える」集会をもった。

『世界宣教なのに、北陸宣教?』

と思われるかもしれない。
しかし、僕らにとって世界とは海を飛び越えなければ
出会えないところなのか?
そうした素朴な疑問から、日本宣教について考えることも
立派な世界宣教ではないのか?
ということになり、北陸宣教を考える時をもったのだ。

北陸地区主事のT主事をお招きして、「北陸に福音を伝えられた
歴史」「北陸が浄土真宗の影響で宣教が困難であること」
「T主事の教会が生まれた歴史」「北陸KGKの歴史と働き」などを
情熱的に語ってもらった。
T主事は北陸出身なので、語る言葉に重みがリアリティーが感じられた。

ある学生から「北陸に行ってみたくなりました」

僕も同感だ。


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南大沢チャペル訪問

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来年度の働きの相談をするため、
元KGK主事のM先生が牧会する
南大沢チャペルを訪れた。

「主事は情報量、経験、理念を持っている存在」
「何を選び、何を捨てるのか?」
「生産性の悪いことをできるのがKGK」

印象深い言葉だった。
KGK主事をやってきた人の言葉だと思った。

継承とは色々な資料を整理して渡すだけではなく、
こうした口伝によって、後の者たちに支える言葉を
残していくことだと思った。

これからの時期は学内、ブロック、地区それぞれにおいて
継承が大きな課題となる。
先輩たちが後輩たちに支えとなる言葉を残すことを、
期待し、祈り求めていきたい。
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男合宿の準備を通して

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今月の28?29日に男合宿が開かれる。
男とは何たるかを、女性との交わり、
神様との交わりから問うていく企画だ。
これは、学生たちの有志企画なのだが、
私は一応担当主事としてミーティングにも参加している。
今日はその最終ミーティングだった。

帰り道、準備委員の学生と一緒に遅めの夕食を食べた。
こうした合宿の準備なので、会話も自然と恋愛や結婚に
ついてとなる。
そして、こうしたフリーな会話は、ミーティングで話していたことが、
そのまま自分の現実へと跳ね返ってくるのを実感する時でもある。
今日はその跳ね返りをよく感じた。

この合宿で語られる神様からの御声に、
「僕自身」
しっかりと聞かなくてはいけないのだ、
と、乗換の新宿駅で思いを強くしたのであった。

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巣鴨

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最近、OFFの日に「今日は何をしようか」と考えることに
時間を浪費し、OFFを過ごすにも頭を悩ます時がある。
今日はまさにそんなOFFだった。

RAHMENSの「ATOM」を見終わり、
さて何をするかと時計を見たら2時過ぎだった。
何をしようかと1階と2階を無駄に行き来したりしていたら、
3時近くになってしまい、このままではやばいと一人で勝手に
追い詰められていたら、
「そうだ、巣鴨に行こう。JR山手線?」
と思いついたのだ。

「とりあえず、巣鴨」

明後日、20台の後半に突入する私だが、週に一度の貴重な
OFFの日に、なぜ私は「とりあえず、巣鴨」と言ってしまったんだろうか。
しかし、刻一刻と過ぎ行く時間は僕を追い詰め、もはや限界に達していたので、
四の五の言わずに「とりあえず、巣鴨なんだ!」と自らに言い聞かせて、
山手線に乗り込んだ。

さて、巣鴨に着いた。
どこに行こうかと悩む町ではない。
巣鴨といえば「巣鴨地蔵通商店街」なのである。
かく言う僕も歩いていたら見つけただけですが…

商店街に入ると、お線香の香りがどこからともなくしてきた。
クレープの香りではなく、お線香なのだ。「流石、巣鴨。」
伊達に「お年寄りの原宿」と言われるほどだ。
香りだけでなく、人々のスピード感も違う。原宿のように人は足早に歩かない。
そして、道も広く、歩くのにゆとりがある。「流石、巣鴨。」

商店街に入ってすぐに気づいたのは、お団子屋の多さ。
そして、どこの店にも「塩大福」が売っている。
どうやら巣鴨名物らしい。「流石、巣鴨」
「元祖、塩大福」という店構えのお団子屋があったので、
巣鴨来訪記念にひとつ買って食べてみた。(ちなみに120円)
できたてでなかなか美味しかった。
軒先で食べていた僕を気遣ってくれてか、お店の方がお茶を出してくれた。
やはり、大福にはお茶だ。そして、話すきっかけが思わぬ形でできたので、
これはチャンス到来と、巣鴨になぜこんなにもお団子屋が多いのかと疑問を
ぶつけてみた。
そうしたら、
「さあ、なんでだろうね?」
と、軽く笑みを浮かべながら、流されてしまった。
「ヒデ、ショック!」

こんなことでめげるものかと、商店街の中心部へと
突き進む中で、またまた気づいたことがあった。
英語の店が全然ないのだ。
アルファベットが使われていても、「NAGASAWA」(実在しませんが)のように、
日本語をローマ字表記しただけ。
コーヒー屋もスタバやドトールはなく、「珈琲貴族」という巣鴨ならではの店だ。
「流石、巣鴨」
時代に迎合しないそのスタンス。
いや、「おそるべし巣鴨」だ。

もう、巣鴨話は飽きてきたころだろうか?
あともう少しなので、頑張って読み進めて頂きたい。

この商店街の冠は、とげ抜き地蔵である。
彼は高岩寺という寺にいるようなのだが、
興味がなかったので、確認せずに高岩寺をあとにした。

高岩寺を過ぎると、商店街も少し賑わいが落ち着いてくる。
100円ショップに入ったのだが、「あれ、ここは以前ダイソーじゃなかったけ?」
と店員に尋ねる主婦がいた。
そうしたら店員が「それはもう10年前のことですよ」と笑いながら答えていた。
ここは「平和な町、巣鴨」なのだ。
「悪質な勧誘はお断り!」的な看板が半分隠れて見えない姿で立ててあったが、
この巣鴨の町にはそもそも必要がないかもしれない。

八百屋があった。「ミラクルフルーツはいかがですか?」
と軒先に出て客引きをする店主。その声を通り過ぎた辺りで、
地下から阪神タイガースの応援歌の六甲颪が聞こえてきた。
改めて、我思う。
ここは「平和な町、巣鴨」なのです。

商店街の出口を出て少し行ってから、商店街に戻った。
5時にさしかかる頃で、商店街のお店の軒先は徐々に暗くなってきた。
しかし、巣鴨に集う方々には、これくらいの時間でも十分なのだ。

と、今日は巣鴨の商店街を巡り歩いた。

そして、ここまで長々と書いたのを見ると、今日はOFFを巣鴨で
満喫したと思われるかもしれない。
しかし、帰りの山手線で気づいたのは、
「そうだ、巣鴨に行こう」
と言うには、まだ40年早かったということだ…


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関東地区協力会運営委員会

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KGKには各地区に協力会という支援母体がある。
いつもKGKを支援してくださる地域教会のことだ。

今日は関東地区の協力会運営委員会に出席した。
担当はO主事なのだが、私も陪席した。
鍋と聞いていたので、3時あたりからお腹のすき具合も
多少意識していたのだが、家を出る直前にキャンセルを知り、
たいそう残念だった。
替わりの「てんや」が僕を慰めてくれた。

こうした会議の話の内容とはなかなか書けないものだが、
(じゃあ書くなよ!とは言わないで?)
いつもKGKを支援してくださる方々と出会って思うのは、
皆さんKGKの交わりが大好きなお方であるとのこと。

牧師や主婦、仕事終わりの卒業生と、皆さん時間を捧げて
来てくださる。
そして、この日は委員会は9時くらいに終わったが、その後も
それぞれで話が盛り上がり、結局皆さんが帰ったのは10時過ぎ。
いやーKGKの仲間と出会うとつい、話が盛り上がっちゃうんですよね。
おかげで帰りの電車はとっても空いていたのです。


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問われる説教者

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最近、ブログが長い。
今日はさらに長い。
先に言っておきます。
でも、そこまでして言いたいことなのです。
なので、お許しを。


今日は埼玉県の北部にある(群馬に近接)
児玉福音自由教会で礼拝説教奉仕をさせて頂いた。

主事は学生と関わるだけではなく、このように
地域教会の方々とも礼拝を通して交わる機会がある。
これは大変教えられる事が多く、素晴らしい機会だが、
同時に、教会の礼拝においてみことばを取り次ぐという
働きの責任は重い。

僕は基本的にどこに行くにも何かしらの本を携えている。
今日は片道2時間ということだったので、
いつも以上に読書が出来ることが楽しみだった。

帰り道、湘南新宿ラインのグリーン車(この教会を訪問したときの僕の定番)に
揺られて読んだのが、「説教者を問う」(説教塾ブックレット、加藤常昭著)。

主事になって、いつも一つの問いがある。
「私は自分が語る説教に生きているだろうか?」

このブックレット(といっても200ページ近くあるが)は、
「説教を語る説教者とは何者か」を問うている。
KGKの主事は説教者である。
私は「自分が説教者である」ということの重みを
軽んじていたのではないかと、読み終わった今思う。

特に今日読んだところで印象に残った文章があった。
少し長いですが、これまたお許しを。

『説教が生きた神の言葉であるならば、その説教を語った者が罪を犯していた場合、
説教の言葉がそれと無関係に終わることはないのではないでしょうか。説教者は、
自分が罪を犯すならば、自分が語る神の言葉としての説教によって、まず誰よりも
自分が審きの言葉のもとに立たされることを知らなければなりません。それを深く意識
しない者に説教を準備することすらできるであろうかと思います。そのことを教会も真剣に
受け止めざるを得ません。』

『自分自身が神の言葉の出来事のなかに立ち、神の言葉によって
審かれ、赦され、聖なる者とされます。』

ここで言われている「罪」とは教会戒規へとつながるような罪ですが、
「審きの神の言葉のもとに立つのが、説教者である」ことの重みを
改めて感じました。
同時に、神の言葉のもとに立つことで自らの罪が審かれるだけでなく、
そこで聞こえてくる赦しの宣言(聖なる者とされる)の重みも感じました。

この両方の重みをしっかりと受け止めているかと絶えず自問することが、
説教者田中秀亮を問うことなんだと思う。
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10同期会

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10同期会がスタートした。
1年生の頃から有志で集まり、
活動は定期的に持たれてきたので、
同期の仲は良い。

「10同期会の意義」と題して集会を行ったが、
計15人と、これまでに比べて少なかった。

08同期会の世話役の方に、同期会を通しての
恵みについて証をしてもらったのだが、
これが大変良かった。

先輩・後輩を意識することなくリラックスできた場、
就活がうまくいかなった時に思い出された同期会での学び、
卒業してからも定期的に会って、近況を分かち合う関係。
同期会を通し、彼は多くの励ましを受け取ってきたのだ。
ここで出会った仲間を、彼は「戦友」と呼んでいた。

「戦友」

じわーぁと熱いものがこみ上げてきそうな言葉だ。
これからさらに、味わい深い言葉となっていくのだろう。
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バルメン宣言の学び会

バルメン宣言_00..

毎月第1金曜日に事務所で、バルメン宣言の学び会を行っている。
ドイツ告白教会がナチ国家とまたそれに傾倒した教会と戦うために
作成された信仰告白が、バルメン宣言である。
第6項まであり、今回は第5項(2回目)であった。
国家と教会についての宣言の項であり、
バルメン宣言の中でも重要な(どれもそうだが)位置を占める。

今のところ毎回出席しており、そして毎回思うのだが、
この学びがこの時代のキリスト者に、また日本の教会に本当に必要なものだと。

「イエス・キリストは主である」
と私が何気なく言うことは、イエスが天地万物の主であることを
認め受け入れていることが明らかにされている。
これは全世界・全被造物(制度なども含む)に対して私の立場が表明されているのだ。
これって、何気なく使う言葉だけれど、実は表明している内容は重たいんですよ。

と、このように自分の信仰の告白がいかに広がりと重みを
有したものであるかを、このバルメン宣言を通して教えられてきたのだ。

来月は12月5日(金)19:00?@事務所
おそらく最終項の第6項について。
期待しつつ。

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多摩センターの電飾

20081114123204.jpg
主事という働きは、いつも何かに追われ、その切迫感に押されて走っているところがある。(皆さんもそうかもしれないが…)

昨日もそうした中、多摩ブロックの役員会に向かっていたら、クリスマスの電飾に遭遇した。

『もう、クリスマスのシーズンかぁ』

例年、このシーズンはいつもより速く走っている。しかし、今年は追われずに少しゆとりが持てるかも(?)

若いからと言って、とにかく走り続けるのではなく、止まることで見えてくることもある。そうしたことも大切にしたい。
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獨協大聖研

20081113072216
獨協大の聖研に行ってきた。聖研の司会を担当し、テキストを作成した。主事になってから初めての司会だったと思う。

マルコの福音書9章からで、昨日の薬科大でやったところをテキストにしてみたが、これがなかなか難しかった。信仰をテーマに作ったが、焦点を絞りきれなかった感がある。
それでも学生たちの聖書への関心の高さが、質問の不十分さを補ってくれた。

獨協大の聖研には期待をしている。今度は彼ら自身でテキストを作成するくらい、果敢にチャレンジして欲しい。
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東京薬科大学

東京薬科大学

日野市から八王子市に入ってすぐのところに
平山城址公園。その裏側にある東京薬科大学。
自然に囲まれ、落ち着いた中で学生たちは
研究に打ち込める環境だ。

今年度初めての訪問だ。
なかなか予定が合わずに行けなかった。

学生2人と僕とで聖研。
もう一人の学生を待っている間に、
「信仰と科学」について悩むかと聞いてみた。
「今はどちらもぶつけ合わせずに受けとめている」と。
確かに。
両方をぶつけ合うことが、信仰(聖書)を科学論争のテーブルに
乗っけてしまう危険性がある。
ただ、全く切り離すと、2元論的な世界観になってしまう。
そもそも両者を並列に置くことが正しくないのだと思う。
すべては信仰の事柄として問われているのだから。

聖研はマルコの福音書9章から。
「議論は不信仰で、祈りは信仰」のようなテキストの誘導を感じた。
どちらも信仰にも不信仰にもなりうると思うのだが…

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長老教会ツアー

信仰と科学

今日は関東地区協力会運営委員会の先生と共に、
3つの教会を訪問した。
日頃、KGKに対して考えておられる意見などを伺いに行った。(with KGKの紹介)

先生が長老教会の牧師のため、武蔵中会の長老教会を巡ってきた。
「THE 武蔵中会ツアー」
とでも名づけられるよう。

最初は、10:00に東大和刈穂キリスト教会。
韓国人の先生が牧会している教会。
先生曰く、
『韓国で学生伝道団体と言えば、圧倒的にCCCなんですよ』
理由を伺ったところ、
『教会論がしっかりしているんですよ。神の国という一つの目標のために、
教会と良い協力関係を持っているんですよ。』

これぞ、KGKも目指しているところ。

2つ目は、11:30に玉川上水キリスト教会。
主の祈りの礼拝説教シリーズが171回目を数えている。
Amazing !

博学の噂は噂通りだった。(先生の著書、頂きました!)
『無名の古代教父なんですが、キリスト教会の大きな幹を作った人で、
カルヴァンもそこに…』
『19世紀のファンダメンタリズムは、リベラリズムの「社会的福音」に対して、
「魂の福音」だけは死守しようとしたんですが、それが今の聖書的世界観への関心の低さに…』

先生はノンストップで語り続け、先生(協力会の)と僕はひたすら聞き続けた1時間半だった。
そんな中、3回お腹が鳴ったのは恥ずかしかった。
僕は聞き足りなかったので、帰宅してから再度電話をしお話をした。
今後も折りある毎に、先生の博学な知識と温かい人柄に触れたいです。

(駅に向かう途中、コンビニの肉まん3つをほおばる。)

3つ目は、14:00に所沢聖書教会。
大田和元KGK総主事と同じ時期に学内におられた先生が牧会している教会。
信仰の有り様を内面的な世界だけで捉えてしまうことに対して、
鋭い問題意識を持っておられる先生。
信仰を感覚だけでなく、理性的に考えることが大切だと。
KGKの「学生主体」はまさにそういうことですよね。

帰り際に先生が
「次は2月あたりに神奈川中会にでも行きましょうか」
と。

「THE 神奈川中会ツアー」
乞うご期待!

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感謝祭フェアー

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11月の第4日曜日は多くの教会で収穫感謝祭礼拝が持たれる。
そのルーツは旧約聖書の「仮庵の祭り」にある。
僕の所属する東京カベナント教会では、礼拝はもちろんのこと、
そのほかに、11月の第2日曜日に「感謝祭フェアー」と銘打って、
ミニバザー的な催し事を行なっている。
今日はその日であった。

うちの教会は、北海道の蘭越に農場を借りているので、
そこで取れたおいしい大地の恵みを、こうした時に食することができる。
どれもおいしいが、僕は特にかぼちゃが大好きだ。
しかし、見た目はかぼちゃに見えないのだ。
「おいおい、そこのへちまさんよ!」
と声をかけてしまうような細長い形状なのだ。
こんなかぼちゃは都会の八百屋やスーパーでは見かけたことがない。

団欒スペースでは教会員のお子さん(6歳、幼稚園年長)VS壮年会の小父さんで、
囲碁が打たれていた。
老若男女が集う教会だからこそ見られる光景であった。
(しかし6歳の子どもが囲碁とは…)

収穫の恵みへの感謝はもちろんだが、キリストのからである教会員
ひとり一人の存在もまた感謝し、喜ぶ、そんな「感謝祭フェアー」だった。

へちまかぼちゃと年長児の囲碁姿は、本日のマイファイバリットでした。
写真はないよ?
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EARC祈祷会

EARC祈祷会

今日はEARC祈祷会が事務所であった。
感謝から再建へというテーマの下に行われた。
EARC当日を時系列で振り返っての映像や
祈祷課題がどのように聞かれたかを確認したり、
学生と卒業生(準備委員)の証やメッセージと
盛り沢山な集会だった。

EARCが終わって3ヶ月が経つ今、
「EARCは神様が多くの祝福を与えてくださり、感謝だったね。」
と回顧し、そして、
「EARCから見えてきた再建に取り組むぞ!」
と、自分の地での再建(世界宣教)という使命へと
向かわせてくれる集会だったと思う。

個人的には懐かしさがこみ上げてきた集会だった。
「EARC」や「成田」という言葉は久しぶりに聞いた。
テーマソングも久しぶりに歌った。あのリズムが懐かしかった。

でも、EARCという8月の思い出は残念ながら風化していく。
EARCのことを振り返って、「懐かしかった。感謝だった」と
と回顧することさえ、これからはあまりないのかもしれない。
けれども懐かしさを味わうのが、EARCの目的ではない。
EARCで言われていた「再建」という言葉が、今の自分にとって
何を意味するのかと問い続ける意識を風化させないことが
大切なのだと思う。

「私にとっての再建とは?」

この風化しかけていた問いを、もう一度問い直していきたい。



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英語頑張ります

skype_convert.jpg
今日、主事会後に塚田主事とスカイプで話をした。
「スカイプは良いよ。良いよ。」
という声は聞いていたが、まだ試したことがなかった。
そして、今日遠距離電話ということもあり、
スカイプでの連絡を試みたのである。
音質が抜群に良い。途中途切れるような時も
あったが、総じてGoodの評価だ。

余談が長くなってしまった。
(これが僕の文章の特徴なんです…)

スカイプで話したことは、今月の21日に行われる
伊勢崎線ブロックwith多摩ブロックの世界宣教集会のこと。
塚田主事が北陸地域の宣教について語ってくださる。
世界宣教とは、何も海を越えなければならないことではない。
北陸宣教もまた世界宣教である。

「あれ、今日のタイトルとは関係ないのでは?」

今のことは確かに皆さんに知って欲しいことなんですが、
実は今日伝えたいことの中では余談なんです。
(これが僕の文章の特徴なんです…)

スカイプで話したことは、それ以外にもあった。
塚田主事と互いに約束したことがあった。(こちらが本論なんです)

『毎日、英語の聖書(まずはルカの福音書)を1章ずつ音声で聞いていく』
『毎週、月曜日と木曜日にメールでその日の箇所の感想を分かち合う』

実は来年の2月21?27日にIFESインターミディエットコンサルテーション@タイ
に塚田主事と一緒に行くことになったのです。
だから、英語の勉強を一緒にすることを取り決めたのです。

11月10日から始めます。
続くようにお祈りください。

「えっ、本論が短い?」
(これが僕の文章の特徴なんです…)
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お休みなさい

眠るクマ?

今日は早く寝ます。
おやすみなさ?い
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聖研前のふとした話が

浦和大は福祉と幼児教育を専門とする、設立されて比較的に新しい大学だ。
聖研が行われる部屋は昨年できた建物だから、なお新しい。
新しい建物のあの匂いが僕は好きなんです。

いつものように聖研を始める前に近況を尋ねたら、
内定が出たが、どちらを選ぼうかと悩んでいた。
こうした時、私たちは会社比較によって決断しようとするのではないだろうか。
「A社は?が良くて、B社は…が良くて」と。
会社の長短所を分析し、見抜けるようになることは大切であろう。
が、それが結局、何のための分析かを考えるのかはもっと大切だ。
「自分にとってなるべく待遇や環境が良い会社に入るため」が、
”最優先事項”ならば、キリスト者として大切なことを見失ってしまうのではないかと思う。

聖研で「イエスはどのようなお方か?」をヨハネの福音書から学んだ。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)
訴えかけてくるみことばだ。

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兄弟とカラオケ

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初めてか?
兄弟3人でカラオケに行った(兄弟全員じゃないよ?)。
部屋に入った時のあの「誰が最初に歌う」的な
微妙な遠慮と躊躇いな空気。
それを察してか、「ここはお兄ちゃんが人肌脱ぐところ」と
先陣を切りましたよ。
その後は、兄弟三人が3時間止め処となく歌い続け
(途中4男は、「もう歌えないよ?」と休憩を入れたのは僕の喉には辛かったが)、
気づいてみれば八時半近く。

帰りにカラオケ屋の隣の隣のゲーセンにいって、
久しぶりの格ゲー(格闘ゲームのことね)。

俺って、そういえばまだ今月で26歳なんだよな。
こういうOFFもまだいけるのだ?

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雄飛祭

獨協大雄飛祭?
立て看板を作成してから早一週間。
獨協大の学祭(雄飛祭)の当日を迎えた。

今回、獨協大聖研は「キリスト教の展示」を行なった。
そのシンプルかつストレートな自己主張は、
キリスト教に興味・関心のある人にはわかりやすい
メッセージだったと思う。

展示の良さは何といっても、
来客とマンツーで自分たちが書いた聖書の話を説明できるところ。
学生たちが興味を持っていそうな人に近寄って、
聖書の説明をしていたのは格好良かった。
僕もカトリック教徒のおじさんと40分近く話し込んだ。
なかなか話が終わらなくて…

これからも頑張れ、獨協大聖研!

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聖書通読

20081102232214
教会の青年社会人と定期的に交わりを持っている。
現在、聖書通読をしていて、今日はゼカリヤ書とマラキ書。
共に捕囚後のユダヤの民に対して語られた預言書だ。
ゼカリヤ書4:6『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
当時ユダの総督ゼルバベルに語られた言葉。
総督という権力や能力が問われる立場の彼に、
神は『わたしの霊によって』神殿を完成させることを励ます。

マラキ書の十一献金を勧めていると言われるみことばの一節。
『わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかを試してみよ』(3:10)
『神に仕えるのはむなしいことだ』と祭司を始め、民全体が神に従うことを
軽んじていたときに語られたことば。

どちらも知っていたみことばだったが、あまり文脈を理解せずに覚えていたものだった。
当時の歴史的背景や文脈を理解した時、みことばがその時代の人たちを励まし、鼓舞し、
活きた言葉であったことが伝わってくる。そして現代の僕にも。

聖書通読はええもんですな?
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久石譲で終わりたかった

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我が家の最寄り駅のすぐ目の前にレンタルCD屋がある。
今日は月始めで半額だったので、つい訪れてしまった。

久石譲を借りてみた。
以前から気になっていた人だった。宮崎駿作品で多少は耳にしていて、一度じっくりと聴いてみたかった。
案の定、期待を裏切らない良作であった。柔らかいタッチから奏でられるピアノの旋律は、照明を落としたmy roomにナチュラルに溶け込んでいった。『あー今宵は優雅な一時だぞ』と少々感傷に耽っていたら、突如階下から弟が、『ギャピー』とケンカに敗れて泣く声が、僕の優雅な一時と空間を一気にぶち壊した。

7人兄弟、9人家族が一つ屋根の下に住むってのは、こういうことなんですよ。とほほ…
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| KGKヒデ主事の徒然日記 |
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