KGKヒデ主事の徒然日記

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2008年の内に買えました!

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大晦日の今日、
皆さんは何をされて過ごされただろうか?

家族とTVを前にしてのんびりと
過ごすという人もいるだろう。
温泉でのんびりという人もいるだろうか。

僕は大晦日の今日、
一つの戦いを終えることができた。

「まさか、年内に終結するとは…」

という驚きだった。

今日私のブログを初めて見られた方には、
「何のこっちゃ」と思われるかもしれない。

結論から言うと、『コートが今日買えた』ということだ。

それだけのことです…

ただ、僕はこれまで○印○品を3度訪れたり、
新宿界隈を巡り巡ったりと、
コートを捜し求めてはや3000里ちかく(?)を歩き回ったのだ。

しかし、今日、その歩みに終止符を打つことができたのだ。

思ってもみなかったところから良き知らせはやってきた。

もう、僕はこの戦いをしなくていいのだ!

大晦日にこんなことを報告している自分が、
なんて平和な奴なんだと思ってしまった…

来年もたぶんこんな感じな僕だと思いますが、
ブログの方、よろしくお願いします!
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1年間の振り返り

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昨日から年末年始休暇に入っている。

一年の中で一番、ゆっくり、のんびりできる時だ。

「さて、今日は何をしようか?」

そんな気楽さがある。

起きる時間を気にしなくていいことが、
こんなにも素晴らしいことだなんてと
今日も思った。

「さて、今日は何をしようか?」

部屋の片づけをしようと思い立った。

主事という仕事は、とにかく紙が貯まる
仕事だ。

適宜整理すればよいが、
そうしたことに疎いのが僕だったりする。

1年も経てば書類はかなりの量になる。

ちなみに主事会の資料が一番貯まる。

それだけ色々な話をし、仕事をしてきた証拠だ。

えっへん。

「これは必要、これは不要」と選別しながら気づいたことがあった。

KGKのものは残され、昔の教会の資料や個人的なものは
減っていくことだった。

また、自分のデスクを見渡すと、置いてあるのは、
KGKに関するものばかり。

本棚も仕事用の本ばかり。

自分の部屋を見渡すとKGK関係のものばかりが目につく。

これは当然と言えば当然だが、これで良いものかと、
ふと思った。

何かバランスが良くないなと。


片付けは夕方には終わり、親父のすき焼きを食べた。

なかなかな味だった。

我が家は親父が鍋関係を牛耳っている。
すき焼きは兄弟に重用されるメニューだ。

ちなみに、3回にわけて作る。


またまた話は変わるが、
実は今日は1年間の振り返りをしようと思っていた。

我が家から徒歩2?3分のところにすかいらーくがある。

深夜5時までやっていて、ソファーもある。
街中にあるので、比較的常時空いているのが、
喫茶店よりも良いところ。

昨日の「沈黙」もそこで読み耽っていた。

ソファーに腰掛け、ドリンク片手に今日は1年間を振り返った。

手帳を見ずに、各月に何があったか、何をよく意識し、考えていたか、
そうしたことを一人静まり、ダイアリーに書き記していった。

1?12月までざっと印象的だったことを書き記したら、
そこに書かれていたのは、ほとんどKGKのことだった。

仕事が本当に楽しかったんだろうな?と思った。
事実、楽しく充実した1年間だった。
今年も他地区での奉仕やEARCなど色々と経験させてもらった。

ただ、ほかの事はあまり思い出せないことに、
またもやこれで良いのかと思った。

以前「働きマン」というドラマ(原作は漫画)がやっていたが、
僕もまた仕事人間な1年を過ごしてきたのだろうか?

各月毎に振り返った後は、全体としての振り返りに入る。

今年はひたすらネヘミヤ記を学んだなーと思い返した。

自分にとって「再建」とは何だったのか改めて考える時となった。

KGK、教会、家族の中でこの言葉がどういう意味を持っていたのかと。

こうして振り返った時、自分はKGK以外のこともやっぱり考えて
いたんだと確認した。

再建という言葉が、今もまだ、色褪せずに自分の生活全体に
意味を持っているなと思った。

気づいてみれば大晦日の1:00過ぎ。

冷たい夜風に当たりながら、来年はどんな年になるんだろうかと
思いながら、夜道を帰って行った。






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沈黙

沈黙
遠藤周作の「沈黙」を読んだ。

「神はまだ黙っておられるのか?」

ポルトガル人の司祭である
ロドリゴが幾度となく問う。

神の助けがいっこうにないように思われる時、
つまり、状況や環境がいっこうに変わらない時に
私たちも抱く問いである。

状況や環境が変わらなくとも、その状況をどう受け止めるかという
信仰が変われば、そこに神の語りかけを聴く。

しかし、死の淵に立たせられたロドリゴ。
そんなに簡単にすべてを達観できるわけではない。

達観したと思っても、様々な誘惑が彼を襲う。


「わたしは踏まれるためにこの世に来た。
それこそ沈黙が破られた瞬間ではないか。」

その側面は認めつつも、それを沈黙の答えとして
言い切ってしまって良いのかという戸惑いも覚える。


最後に考えたのは、信仰に生きるとは何なのか?


まだ、整理しきれていない。
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中高生会年末感謝会

今日は今年最後の日曜日。

年末感謝礼拝として礼拝が
捧げられた。

担当している中高科でも
年末感謝会として、
交わりのひと時を持った。

M主事をお招きした。

最初は自分たちの一年を振り返り、
感謝だったことや大変だったことを
書き記した。

普段はこうしたことを中高科であまり
しないので、良いひと時だった。

メッセージは詩篇77篇からで、
これから大学生になる高校3年生たちには、
ちょっと大人なテイスト感だったと思う。

これも良かった。


集会後は、鍋とケーキ。

寄せ鍋とちゃんこ鍋。

どっちが、どっちだか最後まで区別がつかなかった…

でも、水餃子がもっちりとして
美味しかったので、オッケーなり◎

(意外とこういうキャラいけるんですよ)


ところで、中高生とじっくりと話し、交わるのは久しぶりだった。

普段は中高科を担当しながらも、彼らとじっくりと
話す時間が持てない。

そういうことからも、こうした時間は大切だ。

色々といじられながらも、楽しかった。

それが僕のスタイルかなとも思う。

写真を撮ってブログにアップしようと
思っていたのに、撮り忘れてしまった…

最近、デジカメを持っていくことは習慣になったが、
撮り忘れることも習慣になりかけている。

まあ、でも、写真には残せなかったけれど、
みんなの年末の思い出の一ページとしては残ったかな。

(意外とこういうキャラもいけるんですよ)

だから、いじられるんですよね…

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引継ぎ合宿

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年内の最後の仕事が終わった。

写真を見ると劇をやってて楽しそうだよ!?
これも旧役員からの引継ぎで、大層なお仕事でした。


ところで、僕は来年度から実行委員会を担当する。

08年度の実行委員が自分たちの奉仕を
分かち合ってくれた時に印象に残った
言葉があった。

「この仲間と一緒に奉仕ができて本当に良かった」

良いチームを作ってきたんだなーと思った。

奉仕とは「何かをやった」という充実感よりも、
意外と同労者として一つのチームを作り上げてきた
充実感の方が大きかったりするのかもしれない。

実際、

「何かをやり遂げたっていうのは違うんだよね」

と言っていた。

そうなんだと思う。

やればやるほど、何かをやり遂げたというよりは、
それに至らしめた神の導きを思うんだろう。

また、できなかったことや課題にも気づくんだろう。

奉仕を終える時というのは、
神が委員会という一つの共同体を建て上げ、
その共同体を通してご自身の御業を為してくださった
という、神の業や導きを思うんだろう。

もちろん、奉仕を終えて、すぐに神を賛美できない
ということも他方ではあると思う。

また、実際にそのようにくすぶっている思いを胸に
秘めて、奉仕を終えていくという人もいるだろう。

僕は学生の時、そうしたくすぶる思いも入り混じりながら、
バトンを渡した。

こうした時は、暫し時が流れることを待つことも必要なんだろう。


09地区役員の働きがスタートした。

これからどうなるんだろうかという期待と
多少(?)の不安を抱きながら走っていく。

どうぞ、彼らの働きのためにお祈りして欲しい。

・実行委員会
・加入問題委員会
・世界宣教委員会
・全国協議委員会
・議長団

そのためには、まず、
この年末年始をゆっくりと休みませう。


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「レールを広げ、スピードを緩めるゆとり」?

昨日の続きです。


学生たちが祈祷会で、

「学内には自分以外にクリスチャンがいないので、
早く仲間が与えられて、活動が始まるように」

と祈祷課題を挙げることがある。

私も親身になって祈る祈祷課題だ。

しかし、一方で、学内で他のクリスチャンと出会うことなく過ごすこともまた、
神様の御心なのかもしれないと考えることもあるのではないかと思う。

私は学生時代、自分のキャンパスにはクリスチャンは私を含めて2人しかいなかった。
幾度となく新しい人が与えられて欲しいと思い、祈り、祈ってもらった。

紹介された学生もいた。
しかし、結局最後までいたのは2人だけだった。

卒業後1年間活動は途絶えた。
しかし、その翌年に新入生が与えられて今では活動が興隆してきている。

神様にはご計画があり、時があるのだと卒業後に徐々にわかってきた。

私たちは「この状態に至ることが神様の祝福だ」とか
「今、この状態になることが神様の御心だ」と
決めつけてしまうところがある。

自分のレールとスピード感ではなく、
神様のレールとスピード感がその時はわからなくても
しっかりと向き合えるように、時間をかけて祈ることを励まし
続けていくのが主事の働きであり、学生主体である。

もちろん、明確で迅速な判断を下すことが必要な時もある。

両者は矛盾しない。

けれども、そのことを考慮しても、
やはり最初から「このレールしかない、今変わらなければ!」
と変化を焦って求めすぎないことが、今の時代はより大事な
ような気がする。

他のレールの可能性を考えたり、スピード感をゆるめる余裕や
ゆとりを学生たちと共に大切にしていきたい。


文責:関東地区主事 田中秀亮

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「レールを広げ、スピードを緩めるゆとり」?

今日から2泊3日で地区役員の引継ぎ合宿に行ってきます!
初日は説教があります。

この時期ですので、それぞれの体調が守られて3日間を過ごせ、
引継ぎができるようお祈りください。

なので、今日と明日は、今年の秋口に発行した関東地区協力会ニュースに
掲載した文書をお届けします。

その名も「レールを広げ、スピードを緩めるゆとり」
(協力会ニュースの題名から少し変えました)

その時の時期を考慮して読んでくださいね?



学生たちとの会話の話題は多岐に渡る。
マックのソフトクリームが100円だけど意外に美味しいことや、
イエス様の復活の真偽についても話す。

担当ブロックや委員会の学生に4年生が多いためか、
進路の話はとりわけ事を欠かない。

進路の話をするのは、その方向性を決定できずに迷っていたり、
就活がうまくいかない人とが多い。

「内定がどこも取れない。本当に自分はこのまま企業面接を
受けていて良いものか、他に導かれている進路があるのではないか」

「大学院への進学はやめて就職に切り替えます」

「進路選択を通して、自分がこれまで気づかなかった負い目や
目を背けていた部分に向き合わされた」

進路選択は、自分が何となくにしてきた部分や
曖昧にしてきた部分と向き合わされる時として、
学生たちの前に立ちはだかる。

最初のうちはなかなか決まらなくてもめげずに頑張るが、
長引いてくると働くことの意味や目的を考えるよりも、
早く進路が決まって欲しい、とりあえず内定を取って安心をしたいと、
決断や行動に急ごうとすることがある。

彼らの気持ちはよくわかる。しかし、そうした時ふと思うのだが、
進路はそこまで焦って、早く決めなければならないのか?と。

「就職浪人はしたくない」「周囲からの『頑張って』とか
『お祈りしているよ』という励ましがプレッシャーになってくる」

「他に力を入れたいことがあるから、早く終わらせたい」

それぞれ心の中には様々な思いがあって焦るのだろう。

しかし、この社会が作り出すレールやスピード感が進路選択を焦らせることもあるのだと思う。

「新卒で働く」

そうしたレールに乗るはずだと学生たちの多くは思うのかもしれない。

ニートという言葉が登場して久しく経つが、
そうした人たちは社会のレールから外れてしまったと、
距離を置いて見られているような気がする。

また、私たちは物事の変化が早い時代を生きている。
パソコンや携帯はすぐに新商品が現れ、私たちはそれが
普通のスピード感だと刷り込まれていく。

進路決定が長引き「自分は新卒で働けない」「取り残される」と
惨めさを感じてしまうならば、それはこの社会が作り出している
レールやスピード感に影響されているような気がする。


明日へ続く
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園児たちに救われて

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教会のクリスマス祝会に参加した。

音響の担当だったのだが、
十分な備えをせずに迎えてしまい、
始まってすぐ、てんてこまいになっていった。

しかし、教会付属の幼稚園の
園児たちによる聖誕劇が始まると、
そんな焦りもどこかへ。

園児の後ろで黒子的に支えている先生方の
助けをもらいながら、自分の台詞を
たどたどしくも一生懸命話す彼らの姿は
可愛らしかった。

音響室でもがいていた僕を、
彼らは救ってくれた。

そう、やっぱり、救いは外側からなのだ。

(あれ、どこかで聞いたような?)

Merry Christmas !
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コートを求めて3000里

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アウターが欲しい。

最近、よく思う。

○印○品のあるコートが気になっていた。

既に新宿の店舗で2回試着しに行っていた。

栃木の帰りやオフの日なんかに。

しかし、買わずにいた。

どの色にしようか、生地はどっちが良いとかで
迷っていた。

僕は自他共に認める「優柔不断」なのだ。

しかし、今日こそ決断せねばと覚悟を決め、
いつもよりひときわ混んだ新宿にいざ出陣した。

今回は弟の同伴。

もう、僕ひとりで解決できる問題ではなくなっていた。

事態はそれほどに深刻化していたのだ(笑)


店に到着。

試着室も慣れたもの。

色は黒かベージュ、
生地はちょっと説明しにくいので省略。


「どう?」

「う?ん、ちょっと長いんじゃん?」

「おぉ、確かに。ナイス!いいこと言ったぞ!」

青天の霹靂だった。

コートは長かったのだ。

僕は欲張りな性質(たち)なので、
カジュアルにもフォーマルにも
両方使えそうなコートを欲していた。

しかし、そのコートはスーツには
ちょうど良い長さだったが、
普段着に着るにはちょいと長くて、
もさっとした感じに写った。

こんな当たり前のことに僕は2回も
足を運んで試着しておきながら、
気づいていなかった。

やはり、僕ひとりで解決できるほど
問題は簡単ではなかった。

救いは外側からなのだ。

というわけで、買うのをやめたとさ。

他にも色々な店に行ったが、
この時期はどこもかしこも高い。

買わなくて良かったが、しかし、徒労感が残った帰り道だった。
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予報は99%?

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今日は自宅研修。

今週の半ばに説教奉仕。

外は雨。

家に閉じこもって、説教準備に勤しむこと99%の確率。

予報通りだった。

途中メールチェックなどしたが、
基本的には説教準備。

聖書を読みながら「・・・」
注解書を読みながら「・・・」
パソコンを前にして「・・・」

無言の時間が多い説教準備。

しかし、頭の中は高速回転。

でも、途中から低速回転。

回転が止まると…


申命記から語ろうと考えている。

お祈りいただきたい。
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冷めたとんかつでも

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今日は多くの教会がクリスマス礼拝として
祝ったことだろう。

うちの教会はそのひとつだった。

クリスマス礼拝から始まり、クリスマス愛餐会、
ジョイフルクリスマス(ハンドベル、ミュージカルなどに
よるクリスマスを祝う集会)と4時までを一気に駆け抜けていった。

その後は、青年会の臨時の会議。

来年度の役職選出についての話し合い。

うちの教会は1月始まり、12月終わりなのだ。

役職のことはみんなで話したが、来年度の指針や計画については
続けてリーダーたち(役職の人)で話し合った。

この時期はクリスマスと来年度のこととで、
日曜日の教会滞在時間がめっぽう長くなる。

終わって時計にふと目をやると、9時前。

お菓子で騙してきたお腹も、これ以上は
騙しきれそうになかった。
(正確に言うと、だまし続けることはできるんだが、
そうすると体を壊すんですよ。良い子のみんなは気をつけてね!)

家路についてから食べたとんかつは、
冷めていたが妙に美味かった。

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栃木ブロック

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突然ですが、問題です。

「関東北部にある3県を太平洋側から順に答えなさい。」

みなさん、答えられますか?

正解は「茨城、栃木、群馬」です。
出来たでしょうか?

ちなみに僕は…

さて、今日は栃木の学生たちに会いに行った。

彼らに会いに行くため、はるばる東京から
栃木へと向かった。

国際医療福祉大の近くにO教会がある。そちらを
貸していただき、そこに通う学生と栃木県立衛生福祉大の学生、
そして埼玉県立大の学生、帝京大の学生、僕の計5人で聖研をした。

衛生福祉大の学生はKGKの交わりに初めてだった。
来られて本当に良かった。

KGKと言えば、聖研と祈り会。

この栃木の地でも聖研と祈り会を行なった。

マリヤへの受胎告知の記事から。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力が
あなたをおおいます。それゆえ、生まれるものは、聖なる者、
神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)

マリヤの上には聖霊が臨み、父なる神の力がマリヤ全体を包み込み、
そしてマリヤの胎の内には御子なるキリストが宿っている。

三位一体の神がマリヤを外から内からと囲い込んでいるのだ。

これは何と「アメイジング!」なことか。

もしかしたらマリヤほど、三位一体の教理を深く味わった人はいないのかも
しれないと、何ら推測に過ぎないが、そう思った。

よく読む箇所だが、それでも新たな発見があり、喜びがある。

それが聖研の醍醐味であり、聖書の醍醐味だ。

みんなもお互いの聖書の読み方を聞きながら、メモを取ったりと、
新たな発見があったようだ。

聖研の後は、祈り会。

KGKと言えばこれを抜きには語れない。

お互いが置かれている学内のことや家族のことなんかを
素朴に分かち合った。

ある学生が、

「自分の家は父と祖父が仏教徒で、自分は長男なので、
お墓のことはいずれきちんと言わなければならない。」

と分かち合ってくれたのは、印象的だった。

そして、ゆっくりと分かち合った後、分かれて祈り合った。

教会を出たのは5時半過ぎ。

栃木滞在は正味4時間半くらいだろうか。

片道3時間弱の時間を思うと、あっという間だった。

ある学生は所用のため、電車に間に合わず、
行きは新幹線を使って来ていた。

時間とお金は正直かかる。

それが栃木。

しかし、出会うことなくしては得られない交わりが
そこにはあった。

それはPricelessなものだ。
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野茂英雄

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野茂英雄

野球好きならもちろん知っているだろう。

そうでない方でも、一度や二度は聞いたことが
ある名前かもしれない。

なんせ、「野茂(のも)」という苗字のインパクトは記憶に残す。

買い物に行く途中、バッタリと父親に会った。

図書券をくれた。

しかも2000円分。

これだけあると、普段自分のお金では買わないものを
買いたくなる。

新宿の紀伊国屋本店に入った。

普段は滅多に行かない美術コーナーにも足を運び、
絵画の写真集でも買ってみようかと悩んでみたり、
将棋にでもチャレンジしてみるかと、昨日、永世竜王の座を
逃した羽生善治棋士の本でも買ってみようかと悩んでみたり、
次期米国大統領に就任するオバマの演説CDを買ってみようかと
悩んでみたり、

紀伊国屋を上から下へと下りていきながら、
「あれでもない、これでもない」と悩んだ。

まあ、そんなに悪くない時間だった。

2階にNUMBERが売っていた。
その時の旬なスポーツ選手やスポーツを取り上げる
雑誌だ。

オールフルカラーでそれなりに値段もするので(僕には)、
これまで興味はあったが、買うことは無かった。

今年プロ野球選手を引退した野茂英雄の特別号が
売られていた。

野茂英雄だけを取り上げたNUMBER。

それだけの功績と衝撃を残したプロスポーツ選手なのだ。

と言いつつも、僕もそこまで詳しいことは知らなかった。

なので、興味は覚えたが、結局買わなかった。

しかし、帰り道、NUMBERが気になってきた。

図書券ももらったことだしと、地元の本屋で購入し、
駅前のドトールで一気に読んだ。

正直、そこまで深く感銘を受けたという内容ではなかった。

今、こうしてブログに書いていても、書きたいことが
とめどなく湧き上がってくるわけでもない。

僕が野茂の偉大さに気づいていないのかもしれない。

ノーヒットノーラン(ヒットやホームランを試合中に一本も打たれないこと)を
二度達成したことや、ホームラン量産時代に野茂が活躍したことを
僕は過小評価しているのかもしれない。

ただ、野茂英雄が、ストレートとフォークで成績を残し続けてきたことには、
目を瞠るものがあった。

彼はある時、スポーツジャーナリストから、

「なぜ、野茂さんは他に球種を増やないんですか?」

と尋ねられた。

そうしたら、

「人間の目はどうついていますか?」

と聞き返し、相手が横に二つついていると答えると、

「だから、バッターは縦の変化に目がついていきにくいんですよ」

と自信ありげに答えたそうだ。

また、彼はダイナミックな野球を好む。

とにかくバットに当ててこようとするバッターと対戦すると、
残念なようだ。

大リーグは日本に比べて、相手の弱点を攻める野球というより、
自分の持ち味をぶつけていくことを身上とするところがある。

野茂にはそうした野球が合っていたようだ。

かといって、ただ、ストレートとフォークを交互に投げていたわけではない。

大リーグの名選手たちは口を揃えて、「彼は非常にクレバー」と
その投球術を称えている。


主事をやっていると、色々なスキルや能力がもっとあればと思う。
そのため、あっちに手を出し、こっちにも手を出したくなる。

僕は飽きやすい性格と欲張りな性格のためか、
色々と手を出して中途半端になることが多いタイプ。

だから、野茂が格好良かった。

ストレートとフォークにこだわり、それを磨き上げ、
「打てるもんなら打ってみろと」言わんばかりに
思いっきりバッターに投げる。
しかし、ストライクゾーンを巧みに使う投球術。

格好良い。

やっぱり、感銘を受けたような気がする。
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多摩ブロッククリスマス会

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今日は多摩ブロッククリスマス会。

最近、クリスマス会がよく続く。

ブロック役員の所属する教会をお借りして行なった。

初めての方も多く、楽しい交わりのひと時だった。

メッセージはKGKのO主事にして頂いた。

東方の博士とヘロデ大王がベツレヘムに
生まれた幼子に対して、対照的な態度をとる。

一方は遠路はるばるから、ベツレヘムに生まれたという
幼子を拝みに行くため、自らの仕事を投げ打ったり
旅路の危険も省みずにやってきた。

他方では、自分の地位を脅かす者がまた現れたのかと
恐れ惑い、幼子のいのちを狙おうと企む。

「この違いは何だろう?」

別に、どっちかは信仰深かったと言いたいわけではない。

また、そういうことを伝えている箇所でもないだろう。

神の子に対する人の態度を表しているのだ。

人はこの方を拝みもすれば、不要とし殺そうともする。

これらは一人の人間に起こる。

自分は「こっち側の人間」と割り切れる問題ではない。

神の子、イエスが生まれたことを覚えて喜び祝うのがクリスマス。

しかし、単に

「イエス様、この地上に来てくださってありがとう」

と言ってしまうと、何だか自分の罪が見えなくなってしまう気がする。

僕らは今でも神の子を排斥してしまうほどに罪深い者である。

そうした僕らの神の子に対する不誠実な態度を超えて
やって来てくださったのがイエス様。

う?ん、実にイエス様の受肉は深い。

O主事、メッセージをしてくれてありがとう!

P.S. ピザのお肉もおいしかった
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顔、痩せた?

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祈祷会の帰り、牧師婦人が

「顔、痩せた?」

と心配して言ってくれた。

そう、最近、時々言われるこの言葉。

「僕はいつから小顔になったのだろうか?」

んなわけ、ないか…

確かに鏡でマイフェイスを覗いてみると、
若干やつれたような…

「食事が外食に偏っているからか?」
「それとも睡眠時間か?」

いや、どれもそれなりにとっている。

「じゃあ、ストレスか?」

僕はあまり溜めないほうだと思っているんだが…

「じゃあ、何なんだ?」

ところで、昨日、僕は?列王記18章から短くメッセージをした。

バアルとアシェラの預言者と一戦を終えた後のエリヤが、
御使いから、「起きて、食べなさい」と体を休めることを
命じられている記事。

自分ではあまり意識されていないが、実は僕も疲れているのかも。

年末年始はどっかでゆっくりと温泉にでもつかり、旨い物を食べたいもんですな?

「いい湯だな?」

最近、言ってないな?
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中央大学クリスマス会

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中大のクリスマス会に行ってきた。

総勢15人と大所帯だった。
部室は椅子が足りなくなり、
立ち始める学生も出てくるほどに
ひしめき合っていた。

初めてや久しぶりの学生も結構いて、
いつもとは雰囲気の違う中大の部室だった。

また、参加者の教会は福音自由、ホーリネス、
福音伝道教団、ペンテコステ系、バプテスト、
JECA、改革派、長老教会、日基、単立
と、バラエティーに富んだラインナップだった。

鍋をした。

豆乳鍋とキムチ鍋と定番のヤツ。

アメリカからの留学生も参加していた。
「鍋は好きです」
と日本食が好きな方だった。

将来は、卒業後にアメリカの神学校に行って、
日本へ宣教師として戻ってきたいと語っていた。

是非、戻ってきて欲しい。

そんな彼に僕は、同じ多摩ブロックの学生と一緒に
頭を悩ませながら、「鍋奉行」の「奉行」とは何か
ということを伝えようとしていた。

「要するに、鍋のマネージメントなんだよね。」

そう、鍋のマネージャーが鍋奉行なのだ。

こうした他愛もない会話が交わされるのが、
鍋を囲んだ時の談笑。

意外にこうした会話が人の心には残ったりする。


一人の学生が早めに帰るということだったので、
プレゼント交換を先にした。

僕は中大に来る途中、高幡不動の啓文堂で悩み抜いた末、
遠藤周作の「沈黙」を買った。

自分がもらえたらと密かに期待していたが、
中大のある学生がもらうことになった。

是非、読んで欲しい。
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理系?or文系?

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仕事から帰ってきたら、
すぐ下の弟が開口一番に、

「兄貴、家族会議だ」

と言う。

「ハテ、何のことか?」

と思って訊いてみようとしたら、
間髪いれずに、来年高校2年生になる弟の理系か文系
それをどっちにすべきか意見を聞きたいと言ってきた。

今日、その弟は学校で3者面談をしてきた。
来年の選択授業をどう選ぶかで、理系コースか
文系コースかが決まる。

母親や学校の先生は理系を選んだほうが良いと
勧めたようだ。

それは将来、医療系や理工学部系を進路に目指すのが
良いだろうという意見があるからだ。

だから、文系という選択肢はない。
理系の中でも、物理を選ぶか生物を選ぶかで、
悩んでいた。

父は生物の教師ということもあってか、
断然に生物にすべきだと声高に主張していたよう。

そして、「家族会議だ!」と声高に叫んでいたすぐ下の弟は、
生物は独学でも何とかなるけれど、物理はそんな簡単にも
いかない。だから、物理だという強硬な主張だった。

肝心の当人はどうかというと、

「正直、どうしようか迷っている。でも、とりあえず理系なのかな?」

という状態だ。

高校1年生の時点で、この先の進路を見据えて授業を選択するというのは、
難しいことだろう。両方できれば良いのにと思う。

正直、高校2年で理系か文系かを選んで勉強したことが、
その後の将来を一生決定付けてしまうものでもない。

だから、本人がやりたい勉強をしたら良いのだと思う。
それで後悔したら、それもまた人生の貴重な経験なんだと思う。

こんな感じで言ったら、すぐ下の弟からは、物理をやっておくことの優位性を
説かれてしまった。

皆、善意と期待の表れで色々と自己主張したと思うが、
でも、やっぱりKGKで大切にしている「学生主体」なんだよなーと。

とは言いつつも、僕もいざKGKで「学生主体」をどう受けとめて、
学生たちと関わっているかな?と振り返らされた出来事でもあった。

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軽々しい福音

「神はあなたを愛している」
「神はあなたを助けてくれる」

クリスチャンにとってある種の常套句と言える。

しかし、こうした言葉は、語られるタイミングや
語るもの自身の人格、相手がこれまで過ごしてきた人生などに
基づいて発せられ、聞かれる。

それゆえ、人を慰めるはずのメッセージが、
逆に相手を苦しめたり、怒りへと駆り立てることがある。

それは、その言葉を発する者の人間理解や人生観の浅さのゆえともいえる。

「なぜ、こんなに苦しいことばかりの人生なのか?」
「死んだほうがどんなに楽なことか」

奈落の底にいるような苦しみと絶望、生き地獄とも思えるような人生

だから、教会に一縷の望みを持って訪ね、通い、聖書を読み始める。
そして、神がどのような方か少しずつわかってくる。
しかし、依然、神の助けは来ないと、もがく。

「結局、ここにも救いはないのか?」

そのように毎日を生きている人は実際にいる。

そうした人を前にしても、

「自分は慰めの言葉を持っている。
なぜなら自分は聖書から真理(神がどんな方であるとか)を
知っているから。」

と、聖書のことばを振りかざそうとするならば、
私たちは聖書を引用しながらも、相手に大きな躓きを与えることに
なってしまう。

日本は伝道が困難だとよく言われる。

福音を宣べ伝えていないことに原因を見ようとする。

しかし、それだけが原因なのだろうか?

福音を安価で軽いものにして、相手を見ずして語り過ぎてしまうことに
その一因はあるのではないだろうか。


ところで、なぜこのようなことを書いたのか。

そうした友を身近に持ち、自らの語る言葉の限界と
愛の貧しさを思い知らされたからであった。
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ラスト加入問題委員会

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「ラスト侍」ならぬ、
「ラスト加入問題委員会」

(ネタが古い)

今日が最後のミーティングで、
来年度の委員に引き継ぐべきことを
話し合った。

ミスドが混んできたので、
最後は近くの公園での青空ミーティング。

何だかすがすがしかった。

公園だから?
天気が良かったから?

いや、それらだけじゃない。

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伊勢崎線ブロッククリスマス会

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今日は伊勢崎線ブロックのクリスマス会だった。

学生は3人で、あとは会場教会の牧師(講師)と私の計5人と
こじんまりした集会だった。

一人一品持ち寄ったのだが、みんなケーキ系を
買ってきてしまい、終わった後は何だかお腹の中が
妙な膨満感に包まれていた。

ところで、今日はクリスマス会といっても、
キリストの生誕からメッセージを聞いたわけではなかった。

「キリスト教の基」と題して、
キリスト教信仰の基本、基礎を確認するという内容だった。

1、キリスト教は聖書の宗教
2、神を信じている素晴らしさ
3、神が私の神となってくださることのすごさ

というポイントからお話して頂いた。

聖書から丁寧に説明されて、わかりやすかった。

2のポイントのところでマタイ21:21が引用された。
ここはイエス様がいちじくの木を枯らしてしまわれ、
もし疑わずに信仰を持って、
『この山に向かって、「動いて、海に入れ」と言っても、
そのとおりになります。』
という箇所である。

この箇所はイエス様を妬み、腹を立て、非難する祭司長、
律法学者たちの姿の記事でサンドイッチされている。

先生はこうした前後関係から、著者であるマタイは、
21節のイエス様の言葉の意図は、悔い改めのことを
言おうとしているのだと説明された。

なるほどと思った。

そして、私たちが悔い改めて神を信じるようになることは、
実は山が動くことよりも大きな奇跡であると言われた。

しかし、劇的な出来事がきっかけで信仰を持った経験がないと、
そうは言われてもあまり実感が湧かないかもしれない。

「いや、山が動くことのほうがあり得ないっしょ。」

と言いたくなる。

そして、

「クリスチャンホームだとわりと自然に信仰をもつよね」

と言いたくなる人もいるかもしれない。

しかし、そう言ってしまう時、僕らは罪というものを
軽んじて捉えてしまう危険性がある。

どこか、「あの人よりこの人のほうが神を信じやすい」とか、
「?だから、私は信仰を持ちやすかった」と思ってしまう。

確かに、その人の育った環境や気質・性格などが、
上手くあいまって、信仰をスムーズに持つことはある。

しかし、それは「神の憐れみゆえ」と理解して受けとめないと、
僕らが罪人であることの深刻さを軽んじてしまう恐れがある。

そんなことを思わされた集会でした?
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プラネタリウム??到着後

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プラネタリウムはサンシャインの屋上階。

平日の16時にプラネタリウムを見に行こうと思って
行けるのは主事という仕事柄ゆえだろう。

しかし、意外ににもお客さんは来ていた。

「柴咲コウ 星空のLove Song」

カップルが多いのは言うまでもない。

しかし、僕は気にすることもなく、
一人純粋に星空を期待して開場の合図と
ともに部屋に入った。

たまたまキャンペーン期間だったため、
始まる前にお客さんの中から抽選で
星の模様の入ったグラスをプレゼントするという
催し事があった。

座席をルーレットに見立て、ルーレットが止まった席の人が
もらえるというのだ。

僕の隣りが当たった。

誰も座っていなかった…

こんなことが3回続いた。

さて、上映開始。

あたりは真っ暗になり、柴咲コウの曲が流れてくる。

冬の理想の星空が満天に広がった。

「おーこれを待っていたんですよ」

と興奮しつつも、一人なので平静を装っていた。

解説もまた柴咲コウであり、まずは冬の大三角形である
「シリウス、プロキオン、リゲル」から。

実は僕は星座や星の名前を全然知らないので、
こうした初歩的な知識でも新鮮だった。
しかし、星座好きには当然過ぎて物足りない内容なんだろう。

シリウスはおおいぬ座を、プロキオンはこいぬ座を、リゲルはオリオン座を
構成する。

昔、なぜ、あの星とあの星をつなげて見ると「?座」となるのかが全然わからなかった。

今日もやっぱりそんなにわからなかった。
なんか「ほら、あそこに熊が」と言われても強引な感じがするのだ。
(じゃあ、何でプラネタリウムに来たんだと言われたらそれまでですが…)

でも、柴咲コウが、

「星を見てあんなに想像を広げられるのは素敵ですね」

このようなことを言っていて納得した。

星座は科学的な厳密さをを問うものではない。
想像力とロマンティックさが求められるものなのだ。
だから、僕は星座がよくわからないのだ。
でも、星を眺めるのは好き。
よし、オッケー

冬の大三角形以外にも大物がある。

「冬のダイヤモンド」と言われるものだ。

これはシリウス、プロキオン、ポルストック(双子座)、
カペラ(ぎょしゃ座)、アルデバラン(おうし座)、リゲルを
結んでできる6角形。

その6角形をダイヤモンドに見立てているのだ。

少し、物知りになった。
今度、どこかで言おう。

冬の星座の説明が終わると、柴咲コウの歌が流れ始めた。
目をつぶって歌を聞いていたら、不覚にも寝てしまった。

わりとすぐに起きたので良かったが、
そもそもプラネタリウムという環境は、
リクライニングが倒れ、周りは暗い。
しかも、今回は耳触りの良い歌まで流れている。

これはもうおやすみなさいと言っているようなものだ。

最後は映像が少々物足りない感があり、
柴咲コウの歌で間を埋めてるように伺えた。

そういうわけで、サンシャインのプラネタリウムは

「☆☆」

といったところかな。

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プラネタリウム??到着まで

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ブログを書いていて自分自身が一番楽しいのは、
OFFの日の報告だったりする。

しかし、OFFの日そのものは、
その日何をするかで苦闘し、
純粋に楽しい日ではなかったりする。

このアンヴィバレンス。

「実に深い…」



な、わけないですよね。


昨日から今日はプラネタリウムに行こうと思っていた。

プラネタリウムは都内にいくつかあるが、
HPを見る限りではサンシャインのがベストのように
思われた。

サンシャインのプラネタリウムは、3番組を順番に放映している。
それらは、いわゆる小中学生の頃に理科の課外学習で見に行った
教育的な内容とは趣を異にしている。

それぞれ「ロマンティック、迫力、ヒーリング」といった
コンセプトがあるように伺えた。

僕はロマンティックな番組、その名も
「柴咲コウ星空のLoveSong」を
一人で見に行った。

ところで、我が家からサンシャイン、つまり池袋へ向かうとすれば、

「新宿から埼京線or山手線で池袋」

というのが定石。

これは路線検索をすれば、まず最初に提示される乗り換え。

池袋に仕事ならば、この乗換えで確実に行く。

しかし、時は14時過ぎ。
プラネタリウムの開始時間は16時。
そして、ここ最近の僕は山手線沿線をよく利用している。

そんなことを京王線の車中で気づいた時、

「僕はまた山手線で良いのか?」

という問いが生まれた。

また、山手線と言えば、先週、僕を色々な駅が誘惑してきた路線でもある。

「このまま乗ってしまったら、心移りしてしまう危険性があるではないか。」

ということで、

「新宿→新宿3丁目→池袋」

という「サブウェイライン方針」をとることにした。

ここで鉄道に詳しい方はピンとくるだろう。
「新宿3丁目→池袋」は副都心線なのだ。

実は開通以来一度も乗ったことが無かった。
一度どこかの機会で乗りたいと思っていたのだが、
今日がそのチャンスと踏み切って、乗ってみた。

副都心線には急行がある。サブウェイに急行とは
なかなかのものだ。

時間短縮のため急行に乗ったのだが、一駅一駅を
味わうことが出来ず、各駅に乗ればよかったと後悔した。

こうした辺りが、鉄道の味わい方を知らない素人さを
露呈するところなのだろう。

ところで、話はまったく変わるが、EARCという学生大会が8月に行われた。
私は交通の担当で、卒業生と一緒に準備をしていた。
ある日のミーティングで、

「特急とかに乗って駅を通過するのは、駅に対して申し訳ない。」

そのようなことを、ある卒業生(鉄道好きな)が言っていた。

僕は駅に対して申し訳ないことをしてしまったのだ…

「まだ、プラネタリウムの話じゃないの?
行くまでの話はもう良いから、早くプラネタリウムの話をして。」

と、思われてきただろうか?

では、期待に応えて、

「サンシャイン到着?」

しかし、To be continued

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プラットホームで見せかけた…

駅
獨協大

僕が担当している伊勢崎線ブロックの学校の一つだ。

しかし、来年度(4月)からは主事の人事編成に伴い、
他の主事に働きを委ねることになった。

「もしかしたら、今日が最後の聖研かもしれない」

そんな思いを胸に抱きながら、松原団地の駅を降りた。

しかし、部室に着いたらそうしたことはすっかり忘れ、
学生たちと聖研を楽しんでいた。

19時過ぎに聖研が終わり、談笑しながら松原団地の駅に向かった。

「春期学校、どう?」
「いやぁ、ビビリますよ?」
「じゃあ、伊勢崎線ブロックのクリスマス会は?」

などと話していたら、あっという間に駅に着いた。

近所に住んでいる学生と「じゃあね?」といつも通りに別れた。
その時だった。

「あっ、担当主事が替わることを伝え忘れた!!」

普段どおりに過ごしすぎて、伝えることをすっかり忘れてしまった。
そこで慌てて、

「実は来年度から伊勢崎線ブロックの主事が替わるんだよね」

と。

僕はこういうことはわりとあっさり言える性質(タチ)だと思っていた。
しかし、意外といいづらく、言った後の学生の驚きの表情が、
僕の胸を締め付けた。

さらに別の学生がプラットホームで、

「本当に替わっちゃうんですか?とても残念です。」

としんみりと言う。

それには涙が出そうになってしまった。

僕はあまり泣かない性質である。
しかし、彼らは2年ないし3年を共に過ごしてきた仲間。

僕も人の子である。

こうして今ブログで書いていてもまた、
あの時の学生たちの顔が浮かんでくる。

涙腺が緩むのを堪えつつ。
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来年から実行委員会なのです

ヨエル
もう12月かと思うと、
今年も早く感じた1年だった。

そして、来年は2009年。
2000年代ももう9年目である。

ミレニアム問題と騒いでいた頃が懐かしい。

ちなみに僕は2000年を迎える時、
友人とカラオケでモーニング娘を歌っていた。
(ちなみに間奏ね)

主事も来年で2期目に入り、4年目となる。
早いものだ。

来年から実行委員会を担当する。
関東地区学生会全体に関わる企画や運営を
行う委員会だ。

また、学生会全体がネットワークを結び、
互いに助け合っていけるようにつなぎ手となっていく
委員会でもある。(と、自分では思っている)

これまで、元主事を訪ねていたのはこの実行委員会を
担当していた頃の話を伺うためであった。

そして、今日は今年まで3年間実行委員会を担当してきた
M主事との引継ぎを行なった。

この委員会の働きの広がりと責任の重さを改めて思った。
「これ全部は出来ないなぁー」と正直思う。

しかし、仕事とは得てしてそういうものでは。

僕は学生たちと何を選び取っていくんだろうか。
期待しつつ、今月下旬からの引継ぎ合宿に臨みたい。

ちなみに今日のブログは#50
こちらも早いものだ。

(写真は今日の帰り道に買ったティンデルの注解書です)
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Skype始めました

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Skype始めました。

僕は今、北陸のT主事と一緒にNIV訳の聖書を
音声で毎日1章ずつ聞いている。

ルカの福音書を先週聞き終わり、
今は使徒の働きだ。

月曜日と木曜日に読んだ感想をメールで
交換しているが、今日はSkypeで感想を
分かち合った。

正直、ルカの福音書は英語で理解したと言うより、
聖書知識で理解したところが大きかった。
そして、今読んでいる使徒の働きは理解が断片的。

こうなると続けていくことがなかなか大変である。

正直疲れて帰った時に、聞く時なんかは
「早く終わってくれ?」という思いだ。

そうした中、今日Skypeで励ましあえたのは、
大きかった。

やっぱり、何かを始める時は、伴走して励まし合える人と
一緒が良いですね?

こんなこと言って、明日から挫折したら嫌ですが…

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誕生日祝い

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我が家では兄弟の誕生日の度に
ケーキを買って写真を撮るという文化がある。

最近は何人かまとめて行われるので、
一回のケーキ量が多く、食べるのに苦しい。

上から3人の兄弟の誕生日祝いが
滞っていたので、今日一気に祝った。

デジカメの前に家族全員が窮屈に肩を寄せ合う。

「もっと、左!それじゃ入らないぞ!」
とデジカメ越しに叫ぶ者

「何でも良いから、早くしてくれよ?」
と面倒くさがる者

「笑わすなよ!」
とじゃれ合う者たち

背伸びしたり、隙間を探してどこから顔を出すか模索する者

引っ掛かっけてあるコート類が写真に写ることを
気にする者

そもそもあまり興味の無い者

写真なんかよりケーキが気になる者

愉快な写真撮影なのだ。
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学生総会

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学生総会が行われた。

毎年2回、2月と12月に行われる。
この日は会員がそれぞれの学校の代表者として
もそもそとやってくる。

総会が始まる数分前まで、今回はいつもより少なくなるかと少々
案じたが、終わる頃にはそれなりに学生が集まっていた。

最初は議論に勢いがなかったが、徐々に活発になってきた。
誰かが口火を切ると、その火は飛び火していく。
有意義な議論は見ていてこちらも熱くなってくる。

そう、主事たちは「フォッ、フォッ、フォッ。最近の学生さんたちは元気ですね?」と
微笑を浮かべながら、議事を傍観・静観しているのではない。

「あーだ、こーだ」と密かに論じ合っている主事や、
透徹した(しかし柔らかな)眼差しで議事を見つめる主事たちと様々だ。
姿はどうであれ、主事も総会に全力投球しているのだ。

単に後ろから優しく見守っているふわふわ人たちではない。
総会を通して、神の国を建て上げたいと願っている人たちなのだ。


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静寂のOFF?ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画

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ヴィルヘルム・ハンマースホイを
ご存知の方はあまり多くないだろう。

彼はデンマークを代表する作家のひとりであり、
それこそ17世紀のフェルメールを思わせる写実的な
室内表現が特徴的である。

かく言う僕も初めて聞いた名前であった。

さて、苦行を経て後辿りついた国立西洋美術館。
有料の音声ガイダンスも借りていざ出陣である。

僕の予想とは意外に混んでいた。
やはり名だたる画家なのだろう。

ハンマースホイの絵の印象は何と言っても「暗い」。
風景画はほとんどが灰色を背景としている。
別に曇天なわけではない。

彼は基本的に暗い色を好んで使うのだ。
だから、青空が広がる画は目立つ。

彼は、光の使い方にもこだわっているようにも伺えた。
(僕が言うのも何なんだが…)

木全体はどんよりしていてはっきりとしないのだが、
その分、逆光から差し込んでくる木漏れ日が際立つ。

ハンマースホイの絵画は、100点近く展示されているのだが、
風景画は最初のうちだけで、あとはほとんどが室内画である。

室内と言っても、自宅ストランゲーゼ30番地と25番地(引越しした)での画が
ほとんどである。

妻イーダは後姿で描かれることが多い。
僕がこの美術館に足を止めたのもそうした画だった。

しかし、この後姿と言うのは不思議なもので、
何をしているんだろう、何を思っているんだろうという
想像力を掻き立てる。

こうしたことが画を楽しむことなんだろう。

彼は肖像画も書いているが、それは何か表情が
読み取れない。

いや、彼の画全体がそうなのだが、

「写実的だが、非現実的」

なのだ。

確かにそこにあるものを描写しているのだが、
そこにリアリティーが感じられない。
表情が感じ取れない。
でも、無機質な感じでもない。

何とも不思議な絵なのである。

だから、見入ってしまうんだろう。

こんなに画のことを論じたのは、人生初である。

ちなみに僕は高校時代に、美術が苦手で苦手で
仕方が無かった。

真面目に授業を受けてて「2」(5段階評価)だった。

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格闘のOFF?ヴィルヘルム・ハンマースホイに至るまで

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最近、OFFの使い方に悩んでいるが、
今日は同僚が「一瞬」を強く思ったという
フェルメールの絵画展を見に行こうと決めていた。

だから、今日はやきもきせずに一日を送れると
期待していた。

しかし、人生はそんなに甘くなかった。。。

弟と昼飯を食べながらだべっていたら、
2時近くになっていた。

さて、フェルメールの絵画展を見に行こうかと
ネットで閉館時間を確認したら、5時だった。

我が家から上野までは30分以上かかる。
入館料は1600円。

せっかくこれだけ払うのなら、もっと長い時間見ていたい。
行く直前になって迷ってしまった。

このままではOFFの日特有の『身動き取れない症候群』になってしまうと、
暗雲が立ち込み始めたので、とりあえず電車に乗った。

この「とりあえず電車」がOFFの日には大事だ。
(皆さんも覚えておくと良いですよ)

一応、フェルメール絵画展が展示されている上野方面に向かった。
路線検索では、渋谷経由を勧めていたので、迷わず井の頭腺に乗った。

渋谷に着き、次は山手線。
番線を確認していたら、重大なミスに気がついた。

「あれ、新宿からの方が上野に近いではないか!」

「ヒデ、ショック!」

3時ちょい過ぎには上野に着いて、2時間弱はフェルメールを
見ようと考えていたので、ここでフェルメールへの思いが萎えた。

山手線に乗りながらも、心は上野に向かっていかなかった。
そんな時、名案が思いついた。

「池袋にはそうだサンシャイン水族館があるではないか!」
「そうだ、サンシャインに行こう!」

しかし、ここで冷静に考えてみた。

「この夏、僕は沖縄旅行で世界最大の水槽がある美ら海水族館に行ったではないか。」

また、サンシャインの水族館に正直心惹かれていないのに、
人類が一大発見をしたかのような驚きと興奮をしていた自分が情けなくなった。

というわけで、

「池袋、却下」

池袋を過ぎて、「次は巣鴨。巣鴨です。」というアナウンスが聞こえてきた。

「あーなつかしの巣鴨。しかし、もう今日は降りないぞ」

と意を新たにし、今日の自分は巣鴨の越境を越えていくんだと
言い聞かせた。その時、また一つの名案が浮かんでしまった。

「僕は今、幼少時代を過ごした西日暮里に向かっているではないか。
あそこの懐かしの商店街に行ってみたい。」
「あそこに行けば、おいしいおでんが食べられるではないか!」

厄介なことが起きてしまった。そしてまた悩んでしまった。
しかし、刻一刻と西日暮里は近づく。

「やばい。このままでは!決断をせねば、決断を!」

ここでまた冷静になって考えみた。
僕は2週間前に巣鴨に行って、商店街を巡ってきた。
同じようなことを2週間というインターバルで行うのには、
まだ早い。そして、今日どうしても西日暮里に行きたいかと
自らに問うと、駅から歩くのでそこまで行きたいわけでもない。

「西日暮里、却下」

こうした山手線での格闘があって後、僕は上野に着いたのだった。

もう迷うことはない。フェルメール絵画展を開催している東京美術館を
目指すのみだ。そして、上野駅の公園口を出て、視力の悪い目を凝らしながら
あちこち探していたら、

「ヴィルヘルム・ハンマースホイ?静かなる詩情」

という絵画展が国立西洋美術館で開催されていた。

「静かなる詩情」

急ぐ僕に、何と魅惑的な響き。
また、そこに展示されていた「背を向けた若い女性のいる室内」という絵も
ダブルパンチで僕の足を止めてきた。背中が語りかけてくるのだ。
しかも、閉館が5時半であり、お客さんもあまり入っていなそうだった。
こっちだとまだ2時間見れる。
さらに、12月7日に閉展してしまう。もうチャンスはない。

しかし、上野まで来て、フェルメールを裏切るわけにはいかない、
という一途な思いもあった。

なので、まずは当初のお目当てであった東京都美術館に足を運ぶことにした。
しかし、3時半近くだというのに、多くの人がこの美術館に足早に向かっていた。

「あれ?これはもしや混んでいるのでは?」

という推測が立った。近づけば近づくほど、その推測は確信へと変わっていく。

そんな思いの中で、美術館に着いた時には、
もはやフェルメールに心あらずだった。

「この混みで1時間半で全部を見回ることは無理だ。
Good bye 愛しきフェルメールよ。」

僕は迷わず国立西洋美術館に戻った。


明日へ続く
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人生いろいろ

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「人生いろいろ?」

というサビで有名な歌がありますが、
今日はこの歌を思い出すような仕事でした。

ところで、KGKは会員制を敷いています。
「誰でもオッケー!ウエルカ?ム◎ ヤッホー!」
という団体ではなく(テンションが高いことは関係ありませんが)、
信仰基準があり、それに同意したものたちで構成される団体です。

そのためには、誰が会員として承認されるべきかを
審査する機関が必要とされます。
関東地区ではそれが「加入問題委員会」という
委員会に当たります。

今週の土曜日は、関東地区の学生総会のため、
KGKの会員になることを希望する学生の数が、
いつもの何倍以上もいました。
今日の加入問題委員会では、そうした学生たちから送られてくる
新規加入願いに目を通して、仮承認(or受理)するのがメインでした。

新規加入願いには、「救いの証」が書かれています。
ある種この部分が、KGKの信仰基準と合致しているか
審査されるところです。

さきほどから審査という表現を使っていますが、証に対して
「あーだ、こーだ」とヤイヤイ言うよりは、加入希望者が様々な形で
イエス・キリストに出会ってきたストーリーに耳を傾ける
といったほうが正確でしょう。

生まれる前から教会に行き、気づいたらイエス・キリストを信じていた者もいれば、
小学生の時に参加したキャンプで信仰の決心をした者、悩みがきっかけで教会に
行くようになって信仰を持った者や、時には天変地異(大地震とか)がきっかけで
教会やキリスト教に興味を持ち始めて信仰を持つに至ったりと、
救いの証は十人十色。まさに「人生いろいろ」なのです。

証を聞くのは本気です。体力を使います。

今日は10人以上でした。(正確な人数は忘れました)

なかなか疲れました…

でも、悪くない疲れなんですね?、これが。


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