KGKヒデ主事の徒然日記

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救いの証し?

昨日からの続きです。

一浪した末大学に入り、
そこでKGKの交わりに参加するようになりました。

浪人の頃からお付き合いしていた方がいたのですが、
その方はノンクリスチャンでした。

当時の私はそのことをあまり問題として考えることはなく、
むしろ、自分はその方を大切にしているという自負心さえありました。

しかし、KGKの交わりで知り合った友人から、
そうした私の付き合いが良くないことであることを柔らかく言われました。

私としては意外な彼の言葉に戸惑い、驚きながらも、
確かに神様は今の関係を望まれてはいないではないか、
神様を喜ばせてはいないのではないかと思わされたのでした。

そして、このことは自分が長らくわからなかった
「人はみな死を持って償わなければないほどの罪人である」
ということの意味を初めてわかった時でした。

また、翌日読んだある方の証を通して、
神が愛なる方であることも初めて実感を伴ってわかった時でした。

十字架の有り難味がわかってきたのもこの頃からでした。

この出来事は余波を伴いました。

実は私はこの当時、救いの確信がありませんでした。

また、高校3年生のキャンプを機に聖書を慕い求めて読むようになったのですが、
聖書の中にはどうしても理にかなっていないように思えることがあり、
聖書を疑っていました。

そうした神にどこか信頼し切れない不安や不確かさが、
この出来事を通して取り扱われたように思います。

神ご自身への信頼が、聖書への信頼となり、
自分の救いの確かさを御言葉の中に置いて良い、
大丈夫だという確かな納得が与えられた出来事にもなったのでした。

この大学1年の出来事がきっかけで、
罪が赦されていることの喜び、そして、
神に仕えていきたいという喜びと積極性が私のうちに萌芽したように思います。

大学卒業後にKGKの主事として働くようになったことも、
この出来事がなければ恐らくなかったであろうと思います。


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救いの証し?

救いの証し?

私にとって洗礼とは、
「イエス・キリストを受け入れたから、その記念として洗礼を受けるもの」
という理解でした。

つまり、キリスト者として本気で生きていくという決心は微塵もありませんでした。

だから、洗礼を受けてから、日曜学校だけでなく、
礼拝への出席も求められたり、聖書を毎日読んだり、
定期的に献金を捧げることを言われるようになったのは、苦痛でした。

当時の私としては「えっ、なぜここまでやらなくちゃいけないの?」という心境でした。

私はその後も先のキャンプには参加し続け、
また、所属教会の中高科ではディボーションの励行がなされていたので、
聖書を毎日読むことはわりかし素直にしていました。

ディボーションは励まされる時もありましたが、
大方はただ空欄を埋め、それらしいことを書いておけば、
「一丁あがり」という『作業』でした。

高校生のある時、自分はこの営みを
「自分は死ぬまでやり続けなければならないのか」とふと思った時、
残された人生の長さの途方もなさに溜息をついたことを覚えています。

このように、受洗してからの歩みは、信仰を持つことゆえの喜びよりは、
窮屈さを覚えることの方が圧倒的に多くありました。

こうした中、高校3年生の時に参加したあるキャンプで、
一つの転機がおとずれました。

その時の講師がエレミヤ21:8や黙示録3:15,16から信仰のなまぬるさを痛烈に、
明確に指摘されました。

当時の私は自分の信仰がいい加減だとは思いつつも、
しかし、一応毎週教会にも通い、聖書も毎日読んでいる、
体裁は整えている、そうした自負心がありましたが、
そうしたものを打ち砕くメッセージでした。


明日へ続く

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救いの証し?

今日から3日間は、僕の救いの証しを掲載します。


教会に始めて行ったのは、確か小学校高学年の頃だと思います。

母親が教会に再度行き始めたことがきっかけだったように記憶しています。

その時は、母親に連れて行かれるがままでした。

教会に行き始めてまもなく、引越しをしたため、
現在の教会に通うになりました。

中学に入り、所属教会の中高科のスタッフからの勧めであるキャンプに参加しました。

それまでにキリストの救いのことはもちろん日曜学校で話されていたと思いますが、
私の心は捉えず、馬耳東風のように流れ去っていました。

なので、私が記憶している限りではこのキャンプで初めて福音を聞いたという記憶があります。

そのキャンプで講師が語り印象に残っていることは、
自分がどうしようもない罪人であるということ、
そして本来は死をもって償わなければならない者であったということ、
そしてイエスという方が身代わりに死んでくださったということでした。

しかし、当時の私には「人を殺してもいないのになぜ死ななければならないのか?

確かに自分には欠けや悪い部分もあるが、死ななければならないほどではないはずだ」
と受け入れ難いものでした。

けれども、キャンプファイヤーの招きの時に、
ここは手を挙げる時なのかなと薄目で辺りを見回しながら、
皆が手を挙げている様子を見て、これは手を挙げなければと思い、
信仰の決心のところで手を挙げたのでした。

この挙手が不誠実であったと言われたらそれまでなのですが、
しかし、この後、教会のスタッフと話す中で、
やはり自分は疑いや迷いがありつつも、
このイエス様というお方を信じてみようという決心したことを確認したのでありました。

そして、翌年の12月(中学2年生の時)に洗礼を受けることになりました。


明日へ続く
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クリスマス会から思うこと?

昨日からの続きです。

しかし、昨年のクリスマス会の様子(出席者の割合)を
色々な主事から聞いたり、
また、私が担当するブロックのクリスマス会の出席者を見たりした時に、
あまりにも未信者の出席者が少なかった。

20?30人の出席者がいても1?2人の未信者の出席だったりと、
私が知る限りのクリスマス会はどこも軒並み少なかった
(そうではないところもあるかもしれないが)。

かく言う私が担当するブロックでのクリスマス会には、
どちらも残念ながら未信者が参加できなかった。

しかし、クリスマス会が終わると、

「いや?今年もめっちゃ良かった。イエス様が誕生してくださって本当に良かった」
「今年はクリスマス会(やそこでの説教が)何本あったかな、1,2,3…」と
私たちはある種の自己満足に耽って終わってしまうことがある。

もちろん、人数が多い、少ないという一面でクリスマス会を評価し過ぎると
結果至上主義になってしまい、主事は学生たちに営業会議のように「とにかく未信者を誘って来るんだ!」と声高に叫ぶだけになってしまう。

そして、そこだけで評価してしまう危険性がある。
もちろん、こうしたことには陥りたくない。

そして、KGKはこうしたことを意識的に避けてきたと思う。

一人一人の人格としっかりと対峙し、向き合っていく中での伝道を大切にしてきた。

けれども、それを承知の上で申すのだが、
数字が物語る現実を私たちはきちんと受けとめる必要がある。

「クリスマス会になぜ未信者が来なかったのだろうか?」
と問うことは学生にも主事にも意味があり、
実は大切なことに気づかせてくれると思う。

しかし、こうした問いを学生も主事もきちんと問うてきただろうか?

これは私見かもしれないが、たとえば何かしらの集会を開いた後に、
その集会の内容や運営方法について問うことはよくする。

しかし意外と出席者数のについては「アピールが足りなかったから」という一言で
評価を終わらせてしまっていることがあるように思う。

これが聖研やブロック祈祷会だと問うことするやめてしまうことがある。

「今は仕方がない。」「うちはこういうブロックだから」と。

クリスマス会も毎年の恒例行事になってしまって、
もしかしたらあまり問われることなく終わってしまってははないだろうか?

学生たちにとっては、自分が学校で未信者の友人と1年間どう関わってきたかが問われるのがクリスマス会と言えるかもしれない。

また、主事としてもどう学生たちに伝道を励ましてきたかが吟味される時であるかもしれない。

数字が語りかける声に学生も主事もしっかりと耳を傾け、
そこから気づかされる現実を受けとめ、考えていくものでありたい。

本年も皆様の祈りと助言によって、私たちの歩みを支えて頂きたいと思います。

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クリスマス会から思うこと?

今月発行したニュースレターより

『昨年のクリスマス会から思うこと』

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

ちょっと前のことになるが、12月に様々な学校やブロックでクリスマス会が開かれた。

この時期にクリスマス会が開かれるのは毎年のことであり、
学生も主事もこの時期はクリスマス会で忙しい。

クリスマス会はたいてい未信者の学生も参加対象となる。
彼らと福音を分かち合う機会として、
それぞれの学校やブロックでは準備してこの会を開催する。

学内の聖研に来ている求道者を誘うのはもちろんのこと、
聖書研究会の時間には足を運ぶのが難しい学内の友達も、
「この時はもしかしたら?」という思いで
「クリスマス会があるんだけど、来てみない?」と
勇気を出して誘ってみたりする。

そうした集会としてクリスマス会は用いられてきた。

だから、クリスマス会は「未信者を誘って何ぼのもん」と言うこともできると思う。


明日へ続く
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明日から全国主事会

明日から土曜日まで全国主事会です。

なので、この期間のブログは、
最近発行した支える会のニュースレターの記事と
僕の救いの証を掲載します。

では、明日から行ってきます!
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祈りの輪を作る委員会

090124_1746~01
関東地区には広報委員会という委員会がある。

学生会(や主事会)が祈りの輪を作り、
互いに支え励まし合っていくことを目指している。

それを紙面によって為していこうとしている委員会だ。

今日はその委員会の引継ぎと次号の発行・発送作業が
事務所で行なわれていた。

僕は参加していないのだが、写真を見ればお分かりの通り、
わんさか人がいた。
(本当はもっといたんですよ!)

広報委員会は実務作業が細分化しているので、
わんさか人手が必要なのだ。

事務所に行けばわんさか人がいるので、一目で
「あっ、広報だ」
とわかる。

でも、彼らの普段の働きは
原稿執筆の依頼、そのリマインド、レイアウトの調整などと
あまり人目にはつかない。

そうした中で作られるキャッチ(関東地区の会員向けの冊子)や
プレカレ(月間の祈祷課題集)。

ありがとう、広報委員会。

よし、プレカレを使おう。
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交わりを考える

ご存知の通り、KGKは「キリスト者学生会」の略。

キリスト者の群れである。

でも、それは、キリスト者「だけ」の群れを目指しているわけではない。

しかし、いつの間にか、

「ここはノンクリスチャンも入っても良い。でも、ここはクリスチャンだけ」

という境界線を作って交わりを作ってしまうことはないだろうか?


こうした問題意識が、今年の実行委員会の中にある。

今日のミーティングでもそうしたことが話題に上った。


考えてみれば礼拝にはクリスチャンもノンクリスチャンもいる。

クリスチャン専用の礼拝とノンクリスチャンが混ざった礼拝、
2種類があるわけではない。

しかし、こと交わりとか、集会、キャンプとなると、そうしたことが生じてくる。

でも、それは本来の交わりなのか?

時々聞く言葉に、

「やっぱり深い交わりをするには、クリスチャンとなんですよね。」
「ノンクリスチャンがいると、分かち合いにくいんだよね?」

というものがある。

クリスチャンゆえに、同じ価値観に立ち、色々と分かり合えるという現実が
あることは確かだろう。

しかし、そのことによって、交わりをクリスチャンだけ用と
ノンクリスチャンいる用(つまり、伝道用)でわけてしまうことで、
見失われてきたものはないだろうか?

「KGKの交わりが内輪だ」

ということはKGKの中でよく課題としてあがる。

それはこうした交わりのあり方を吟味するところからではないかと思う。

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伊勢崎線ブロック祈祷会

場所を変えた。

いつもは獨協大学傍にある教会で
行なっている伊勢崎線ブロック祈祷会。

今日は、埼玉県立大学の近くにある教会を
お借りして行なった。

やっぱり教会に近い学生は参加しやすいのだろう。

埼玉県立大からは3人もの参加者がいた。


今年もブロッ祈が始まった。


いつものように学内の祈祷課題と
個人的な祈祷課題を分かち合って祈る。

45分くらいを費やした。

今日はいつにもまして、ゆったりと
分かち合い、祈ったように思う。

メッセージをしてくださった会場教会の先生にも、
各学内や学生の祈祷課題を覚えて祈ってもらった。

祈る交わりの喜び。

良いですな?

今年もブロッ祈ができることが楽しみだ。
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先取る神

来週の日曜日に中高科で説教をする。

その準備をした。

箇所は出エジプト記13章から。

まずは何も見ずにただ聖書を読んだ。

そこで気づいたのは、まだ出エジプトしていないのに、将来、過ぎ越し祭りや種なしパンの祭りをして、救いを思い出せと命じていること。

神の中では、もう既に救いの業がなされてしまっていて、後々の世代にいかにその救いの恵みを伝えていくかに関心があるのかと思った。

でも、イスラエルの民や僕らは今しか見えない。

でも、神は時代を先取り、救いを先取る。

自分は先取れなくても、神が先取ってくださっているから、あまり心配しなくても良いのだと思った。
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主事会新年会

CIMG2474_convert_20090120220847.jpg
今日は関東地区主事会新年会。

O主事のお宅にお邪魔して、
食事と祈り会の交わりの時を持った。

昨年に続き2回目。

お昼ご飯はお好み焼き、晩御飯はきりたんぽで、
これがまた大層おいしかった。

O主事夫妻は料理がとても上手なので、
O家で頂く料理はいつも楽しみ。

僕は最近、パスタを茹でてみた…

という料理の腕前。


祈り会では、それぞれが2008年を一言で振り返ると
どのような言葉になるか、またその言葉に集約された経緯、
そして、2009年の目標(これまた一言)を分かち合った。

ちなみに私は、2008年を振り返ると「積極性」
2009年の目標は「成熟」となった。

他の主事たちの振り返りと目標を聞く中で、
神様がそれぞれを懇ろに取り扱ってくださっていたことを
知ることが出来た。

私はこうした作業を学生時代にもそれなりにしていた。

しかし、主事になってからは、こうしたことが仕事の一部と
なった。

主事は振り返ることなくして出来ない仕事である。
(どんな仕事もそうかもしれないが…)

だから、KGKという仕事は、振り返ることを
大切にする働きだなーとつくづく思う。

そして、過去を振り返ることから、実に多くのことに
気づかされ、教えられ、神様の導きをそこに見る。

2010年の新年会では、どんなことを分かち合っているのか楽しみだ。

期待をもって、この1年を歩みたい。

O主事夫妻の料理にも期待をしつつ…
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いざ、準備

実は、3/17?20に行なわれる
九州地区の春期学校の講師として
奉仕することになっています。

長期合宿での奉仕は初めてです。

なけなしのお金をはたいたり、
その期間のバイトや就活などを
休んだりして、学生たちは参加します。

春期学校は、4月からの学内活動を
始めるに当たって、互いに励まし合う
時だと言えます。

こうしたことを考えると、自分は大変な奉仕を
引き受けたものだとしみじみ思います。

テーマは「伝えんshy?自由な人生を生きてみらん?」

主を証しすること、福音を伝えることにクリスチャンが、
shyになってしまっているのではないか?という問題意識と、
周囲の視線やクリスチャンとして生きることがプレッシャーや
引け目を感じるものではなく、むしろ、福音によって自由なもの
として、友人や家族に伝えていくものになりたいという願いが
こめられています。

今日からその説教準備を始めました。

回数は4回。

ペテロの生涯から語ろうかと、スタバで思案していました。

僕の証もふんだんに交えつつ、等身大の説教をしたいなと。


是非、準備のためにお祈りください。
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支援者のありがたみ

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昨日のこと。

支える会の報告会とニュースレターの発行を
行なった。

アピールが直前だったので、
参加者は少ないかと思っていたが、
意外や意外に、実に10名が集った。

「オリンピックは参加するだけで意味がある」

なんて言葉があるかないか知らないが、
報告会に支援者が足を運んできてくれるだけで、
僕は励まされる。

みんな、休日を使って、事務所にまで来てくれる。

それだけでも、支えてくれようとする心意気を感じる。

そして、報告会の最後の祈りの時間は、
これまた大層励まされる時である。

そう、報告会は主事である僕にとって大切な時なのだ。

また、集まったメンバーがだいたい一緒に地区役員の
奉仕をしていたメンバーだったので、何か地区役員の
同窓会的な感じがした。

「おー久しぶり!元気!?」

という一言で、学生時代の「あの頃」に戻って
気楽に話し合える仲間は貴重だ。

そうした仲間に支えられて、明日からも働きに出られることは
とても感謝なことだなーと、しみじみ思う。
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証しをするって何?

今日参加した学生たちとのミーティングで、
なかなか興味深い話があった。

そのミーティングは、来月にもたれる
合宿(聖書から学ぶ労働観)の準備であり、
講師のY主事との打ち合わせだった。


「クリスチャンが働くことは、神様を証しするため」

という言葉が事の始まりだった。

しかしここで、

「神様を証しするってどういうこと?」

という話となった。

「自分の働く姿を通して、究極的には周りの人が救われることかな」

と、私たちの働く意義(目的)は、
他者が救われることに収束していくのではないか、
という議論になった。

これは案外、僕らもこのように考えているところはないだろうか?

もちろん、自分の働き(働く姿)を通して、職場の人たちが
救われたら、それは大変喜ばしいことだ。

しかし、少々意地悪言えば、

「じゃあ、人が救われなかったら、証はされていない?
もしくはそうした証は不十分?」

と問いかけたら、どう答えるだろうか?


こうした話がされている中で、Y主事が「証し」
という言葉をどう理解しているか、図示しながら尋ねた。

         ノンクリスチャン
職場(社会)     →      教会

皆さんは職場(社会)のノンクリスチャンが
教会に来るようになることを「証し」と理解していないだろうか?

証とはそういう意味なのだろうか?

これは「社会」という言葉をどう理解しているかとも
密接に関わってくる。

この世の中は「社会」という大きな世界があって、
その中の「片隅に」教会はマイノリティーな集団として
存在している、と思う方がいるかもしれない。

しかし、聖書は社会をそのように定義しているだろうか?

実は社会とは新共同訳聖書に見られる用語。

そこでは、

「彼(ネブカデネザル王)は人間の社会から追い出され」

とある。

これは、神が治められる世があり、
その中に人間の社会があるという理解。

聖書で言う社会とはそういう意味として解釈して良いだろう。

話が長く、ややこしくて申し訳ない。

つまり、何が言いたいかというと、
別に聖書は神が支配していないように見える大きな社会という
ものがあって、そこの片隅に真理を掲げ、神の支配の教会が
あると考えなくても良いのだ。

むしろ、そう考えてしまうと、先ほどのような証の考え方が
生まれてくる。

神の領域に引っ張り込んでくるのが証だと。


しかし、この世はすべて神が支配される領域なのだ。

そこに人間の社会があるのだ。

だから、証を何かと問うとは、実は僕らの「社会」を
問うことと関係しているのだ。

そして、神が支配していない領域があるかのような考え方が
吟味される必要があるのだ。

証はどこにいようと、神の前で問われるべき我々の態度であり、
生き方である。

さらにもう一言言うと。

神はご自分の秩序を持って治めているあらゆる組織(教会、家庭、会社etc…)が、
本来の機能を果たすように求められている。

つまり、証とは、そのために最善の努力をすること。
その時々で違う。


たとえ話で説明すると次のようになる。

たとえば定食屋を営んでいたとする。
その定食屋の使命は何か?

それはおいしくて、また、リーズナブルなAランチを
生み出すことである。(別にAランチという呼称でなくても良いが…)

しかし、その店長は薬屋も兼業していて、
薬の調合に評判が良かったとする。
しかし、定食屋で薬を出すことは定食屋の使命ではない。
(まあ、そんなこと実際にはありませんが…)

定食屋の使命は、おいしい定食を出すことである。
薬屋の使命は、よく効く薬を提供することである。

そうするとここから、学生の本分は勉強であるということが、
いえるのではないかとも思う。

ここでさきほどの問いに戻る。

「じゃあ、人が救われなかったら、証はされていない?
もしくはそうした証は不十分?」

証とは、自分がその時いる組織の目的が神の秩序に
照らし合わされた時、本来何をすべきであるかを考え、
それにかなうことに最善の努力をしていくことである。

もちろん、その結果として人が救われるということ(ハプニング)は
あるだろう。

長くなったが、証しという言葉の意味を考える時となった。


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KGKの財政小話を

今日はKGKの財政に関する小話を。

KGKの会計年度は1?12月。

この時期の全国事務局は、
決算報告書の作成に繁忙だ。

2008年の会計決算報告(金額)がでた。

KGKは1947年から始まったとされるが、
会計決算書が残っているのは1957年から。


さて、ここで問題です。


1957年?2008年までの収入(献金)合計は、
ざっと見積もっていくらでしょうか?

1、15億円
2、20億円
3、25億円
4、30億円

正解は・・・



2番(20億円)です!


これまでKGKの働きのために、
心動かされて献金された額は、
実に20億円。

KGKは何かを作って、売るという営利活動は
行なっていません。(ブックレットは原価で販売してますから、
利益出ていませんよ?)

だから、自分たちが稼いだお金ではないんですよね。

そう、捧げられた20億円。

このことを思うと、私のように主事は、襟を正されるような思いがします。

感謝を持って受け取りつつも、捧げられたものを
ふさわしく管理すること。お金の管理だけでなく、
それを管理するもの自身が主の御前にふさわしく
整えられること。

それが大切なのです。


新しい年が始まりました。

今年もまた、KGKの働きを覚えて支援のほど
よろしくお願い致します。

また、捧げられたものを感謝をもって、かつ、
主への畏れをもってふさわしく用いていけますよう
お祈りください。
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宮本武蔵(一)

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吉川英治の「宮本武蔵」を読み始めた。

歴史小説はこれまで読んだことがなかった。

歴史小説は長編で何巻も続くので、
読みきるには時間がかかってしまうからだ。

私は、本は毎日何がしか読んでいるが、
自分の楽しみのための本はOFFの日くらいしか
読まない。

なので、読み始めても続きを読むのが1週間後だったりする。

そうなると話の内容も忘れかけてしまう。

でも、そのハンディを越えてでも今回はあえて
トライしてみようと思った。

「えっ何故かって?」

特に理由はありません。

歴史小説好きな同僚に勧めてもらったので、
せっかくなら挑戦してみようとなんとなく思ったからです…



で、早速、読んでみた。


宮本武蔵についてはほとんど知らなかった。

物語は関ヶ原の戦いが終戦したところから始まる。

武蔵(元々は「たけぞう」という呼び名だった)と又六は
同郷の友。

2人は関ヶ原の戦いでは西軍(石田光成など)で、
戦いに敗れた。

落人となった彼らは、ある母子の身元に逃れ、
戦時の傷を癒す。

この後、武蔵は同郷に帰り、又六はこの母子と共に
京都へ赴き、全く別々の人生を歩み始めることとなる…

武蔵はこの後、困難を辿りながら成長していく。
他方、又六は、酒飲みに明け暮れていく。

2人の人生の歩みは大きく袂を分かち、
そして、又六からの手紙という形で2人は5年ぶりに
出会うこととなる。

2人の間には5年という歳月が流れ、
今は会うことが憚られるという距離感が
生まれてしまっていた。

この2人の関係だけではない。

武蔵を取り巻く人間関係はこの5年の間で、
広がり、また、複雑なものになっていく。

その中で、武蔵は成長していく。


ドリンクバーとトイレ以外は席を動くことなく、
第一巻を一気に読んでしまった。

ロイヤルホストを出る頃は9時前だった。

どうりでお腹も空いていた。


時代も違えば、文化や制度、常識も違う。

だから良いタイムトリップとなった。

OFFの日はこうした”良い意味”での現実逃避に限る。
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主事会合宿

180px-USMC_Marathon.jpg
主事会合宿が行なわれた。

新しく動き出した各委員会の報告がされ、
自分の働きも替わったんだなと改めて思った。

また、委員の学生と担当主事は、これから1年間を
走り抜けていくんだろうと思った。

今はまだ走り始めて間もない。

地区役員の学生たちの多くは現在3年生。

これから進路選択のために動き出していく。

こうした中で1年間を走り抜けていく。

主事もまた、他の働きと並行して、各委員会での働きを
1年間担い、走っていく。

時には疲れを覚え、走ることをやめたくなる事もあるだろう。

適宜休息をとりながら、1年間を走っていきたい。
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明日は主事会合宿

明日から一泊二日の主事会合宿。

都内の教会をお借りして行なう。

関東地区の主事会は、
年に2回(1月と10月)に
合宿を持っている。

明日は、今年はこんな計画や分担で
頑張っていきましょう、といったことを話し合う。
(実際はこんなに軽くないですよ)

今日はそのための資料作成の準備をしていた。

資料作成といってもこれまたなかなか時間がかかる。

僕は実行委員会の担当なので、ここまでの経過を
まとめて報告するのだが、まだ2回しか年始に
集まっていないのに、話し合ったことは膨大で、
かつ複雑なので、まとめるのが非常に困難だった。

主事の仕事は、自分の働きを整理して同僚に
伝え、フィードバックを受ける(助けてもらう)ということがある。

チームで働く時、これはかなり大切なことである。

自分の報告次第で、他の主事たちからのアドバイスは
如何様にも変わり、その後の進路は変わる。

正確性を期し
部分的でなく全体的に
そして、わかりやすく

といったところでしょうか。

なかなか難しいんですよね。

というわけで、明日からの合宿が実りある時となるよう
是非、お祈りください!

報告は明後日になりまーす
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お疲れ電飾!

1160010000053.jpg
うちの教会では毎年クリスマスに向けて
電飾を飾る。

その作業は、たいてい11月の第2日曜日に。

あれから、クリスマスが過ぎ、年が明けた。

その電飾とおさらばしたのが、
今日だった。

振り返れば、電飾をつけた日は、
陽が短くなり、寒さを徐々に実感した
始めた頃だった。

あの日は、

「寒い!手がかじかむ…
枝、痛い!ちょっとどいてて!
もう、勘弁して…」

などと、悲鳴が飛び交いながら、
作業は行なわれていた。

終わった後は、互いを「よく頑張った」と慰め合った。


外す今日はと言えば、あの時よりも日は短く、
寒さも厳しかったのだが、悲鳴は聞かれなかった。

「もう寒さになれてしまったからか?」

それも確かにある。

でも、3ヶ月近く風雨の中でも照り輝き続けた
電飾を取り外すために彼らを手に取った時、

何だか、

「お疲れさん」

と、彼らを労わってやりたくなった。

なんだか、電飾も師走の同労者のように思えてきたのだった。


とは言っても、電飾を巻きつける作業は苦労した。

やっぱりやつは電飾。

別の悲鳴が…


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明日早いので

眠るクマ?

今週は体調が多少すぐれないせいか、
普段より睡眠が必要な体に
なっています。

というわけで、今日はお休みします。

シーユートゥモーロー
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健康診断

images.jpg
健康診断を受けに行った。

KGKのビルのすぐ隣のビルにある
クリニック。

近頃では、病院と名乗らず、
「クリニック」とも言ったりするようだ。

主事になって初めての健康診断で、
ちょっとわくわくしながらクリニックに向かった。

御茶ノ水から徒歩2分のところに
建物を構えるくらいだから、さぞかし
お洒落な感じの病院だろうと思っていたが、
やっぱりそうだった。

水も大きいタンクに入っていて、自由に飲めるのだ。
トイレはこれまで出会ったことも無いくらいに清潔感が
みなぎっていた。

健康診断用の衣服も貸してくれて、何かそれだけでも
リッチな気分になってきた。

そして、これから健康診断。

2時間くらいかかると事前の案内書には
書かれていたので、さぞかし何かすごいマシーンを
使って、健康診断をするのかと一人期待し想像していた。


しかし、終わってみたら10分程度。

「あれ、もう終わり?」

という拍子抜けた感じだった。

でも、学生の頃を思い出せば、
健康診断ってそんなもんだった。

並びはしたが、内容はさしてたいした
ものではなかった。

これで僕の健康状態がチェックできるのか、
もっと調べてくれとも正直思ったが、
まぁそこは信用するしかない。

というか、今、風邪気味で鼻水が止まらない×∞

そっちを見てもらった方が良かったかな…
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多摩ブロック鍋会

2613.jpg
ここ数年、多摩ブロックでは1月に
鍋会を行なっている。

今年もまた、鍋会で多摩の活動が始まった。

最初は、会場教会の牧師によるメッセージ。

多摩ブロックでは今年度、
「隣人のこと知ってますか?」
というテーマを掲げている。

それを考慮してくださり、
「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と
言われたのを、あなたがたは聞いています。」
マタイ5:43

というみことばから、隣人とは誰か?
語ってくださった。

旧約聖書(ヘブル語)や新約聖書(ギリシア語)で
「隣人」を表す言葉にどういう原語か使われているか
というところを丁寧に解説してくださった。

私たちは聖書を読む際に、
観察→解釈→適応
という行為を無意識のうちにとるが、
解釈がいかに大事であるかを語ってくださった
ように思う。

ブロッ祈ではあまりなかった類の内容だったので、
良い勉強になったと思う。

自分の体験と安易に結び合わせて聖書を
読んでしまうことがないようにと話されていたのは、
心に留めるべき言葉だと思った。

これは聖研において、いかに解釈が大切であり、
ここに時間を十分にかける必要があるかを
伝えてくださったんじゃないかと思う。


さて、話の順序は入れ替わるが、先生は
最初自己紹介がてらに学生時代のことを
分かち合ってくださった。

先生は熊本大で聖研を立ち上げた方。
当時はまだ九州地区として活動しておらず、
主事もいなかった。

中四国の春期学校(?)に参加され、
そこで出会った宮崎大、大分大の学生と
共に九州の地でKGK運動を始められた。
(多少時期はずれたが)

九州地区の草創期を担われていたのだ。

だから、メッセージで聖書の解釈がいかに
大事であるかと語られていたのは、
学生時代の聖研で培われてきたことも
あるんだろうと思った。

「あれ、鍋の話は?」

じゃあ一言

「風邪気味な僕には、野菜が多めの今日の鍋は優しかったな?」

P.S.写真は先生がメッセージ中に勧めていた本です。
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初仕事は合宿

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鬼怒川で静養し、

「いざ出陣!」

と言わんばかりのはりきりで初仕事に臨みました。

出陣先は、下北沢。

「下北沢で仕事?」

はい、そうなんです。

委員の学生5人と僕で、
下北沢にある教会で、
今年から担当の実行委員会合宿。

その名も、

「ひたすらミーティング合宿」

・・・


この時期、実行委員会は最も
多忙を極める。

関東地区の年間テーマや実行委員会の
年間活動計画を決定しなければならない。
この委員会は担う領域が広い。

議事が始まったのは18:30くらい。

各自、実行委員会の過去の議案書を読んできて、

「実行委員会とは何か?」
「現在の課題は何か?」

などをまとめてきた。

「論文書こうかまで思っちゃいましたよ?」

という学生もいたり。

議案書を読んできた分、
学生たちの語る言葉に重みと説得力があった。

しかし、過去の足跡を辿り、そこから
何かを帰結し語ろうとすることは、
慎重にならなければならない作業でもある。

歴史とは複合的で多面的な要因により形成されているからだ。

だから、ミーティングは延びに延び、
翌朝の朝刊が届く頃に強制終了という形で閉じた。

(そんな中でも、委員の誕生日祝いを密かにやったりもしました)

結局、自分たちがどのような歴史の上に
立っているか、そのことを議論した合宿といえる。

もちろん、その中で現在の問題が
何かということも見えてきた。

「それは何なのかって?」

まだ整理されきれていないので、
乞うご期待!

で良いかな…
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鬼怒川の旅 その2

CIMG2466_convert_20090105222106.jpg
遅めの朝起きだった。

10時半にチェックアウトし、
ブランチと立ち寄り湯を求めて
いざ鬼怒川観光街!

朝もやはり東京よりも少し寒さが
増したが、澄み切った青空と昨晩の充実感が
そんなことは気にさせなかった。

しばらく歩くと、観光ホテル街に。

12時からでないと立ち寄り湯には入れそうになかった。

となれば、まずはブランチ。

11時過ぎだったが、店はどこも開店前。

たまたまやっていたお土産屋を訪れ、
そこできゅうりの味噌和えを購入し、
店員のおばちゃんから地元でも評判の良い
近くの喫茶店を紹介された。

ランチではパスタ、カレー、ハンバーグがあり、
これがおいしいとのことよう。

僕らは少々戸惑った。

「いくらおいしいと言われても、喫茶店だからな。」
「それにここまできてどこでも食べれるものはな?」

躊躇いつつも、結局底の店にした。

しかし、ここから僕らはとんでもない裏切りにあう。

入ってみるとスペースこそ喫茶店規模だが、
こじゃれたレストランとも言えるような構えだった。

店に入っただけでも、一気に期待感が増してきた。

そして、コック姿のマスターが。

「やべぇ、ここは片手間で料理を出す店じゃない」

料理への本気を見た。

「間違いない、ここは美味しいはず」

と期待した。

ビーフカレーセット(コーヒー、デザート付)を頼んだ。

前菜のサラダを食べ終わると、期待の彼はやってきた。
(カレーなだけにね)

CIMG2463_convert_20090105221946.jpg


見た目から美味しそうなのは一目瞭然だったが、
口に運んだ時の驚きは、想像以上だった。

カレーの持つまろやかさ、甘み、コクはこれまでに
食べたことがないものだった。

KGKの事務所近くには、カレー屋が何軒かあるが、
そこのカレーとは本質的に目指すものが違った。

カレーが辛いというのは、当然のことだが、
ここのカレーは何よりもまろやかさと甘みに力がある。

だから、カレーなのにも関わらず、あまり辛くないのだ。
思わず、ご飯を通さず、ダイレクトに口に運んでしまったくらいだ。

しかし、驚きはカレーで終わらなかった。

コーヒーもまた、絶品だった。

この年末年始、それこそ喫茶店やファミリーレストランで
コーヒーを飲む機会が多かった。

しかし、彼らとは住んでいる次元が違っていた。

コーヒーの美味しい苦味とは何かを教授していただいた。

もうここまできたらデザートも書くしかない。

おそらく自家製であろうカスタードプリンが出てきた。
だから、コーヒーは苦めなのだ。
さらに、洋ナシのワイン漬け(?)らしきものも
サービスで出してくださった。

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「ここはドコ?ワタシはダレ?」

といった具合に、至福の時へと誘われたのだった。

相方が、

「ここは麻布だ」

と言っていた。

そばでは地元のおばあちゃんたちが楽しく話すので、
やっぱり鬼怒川なんだと現実へと戻された。

しかし、ここ鬼怒川には、麻布にはない自然、温泉、人々の
ゆとりがある。

至福の食事後は、温泉。

脱衣場でタオルが無いことに気づく。

そうしたら、掃除のおばちゃんが
乾燥したばかりのタオルを貸してくれた。

つくづく、人の好意によって進んでいく旅だ。

この温泉は鬼怒川を一望できる。

掃除後なので、風呂場はきれい、しかも
お客は僕ら以外に1名。

鬼怒川とその町並みを見つめ、物思いにふけながら
温泉につかる。

文句ない。

あとは駅に向かうのみ。

しかし、そんなに簡単には到着しません。

通りすがりの温泉まんじゅう屋を発見。

「TVチャンピオン出演」

だとか。

・温泉まんじゅう1ヶ70円
・栗まんじゅう1ヶ140円

栗まんじゅうを選んだ。

夫婦で営むこじんまりとしたおまんじゅう屋。

しかし、SONYのVAIOを巧みに扱うおばあちゃん。
恐るべし…

旅人の僕らを察してか、コーヒーを飲んでいきなさいよと
勧めてくれた。

「まんじゅうなんだから、日本茶が…」

と思ったが、コーヒーが実は合うのだとしきりに勧めるので、
飲んでみた。

おばあちゃんの勧めは間違っていなかった。

ブラジル産の豆を使っているらしいのだが、
後味がすっきりしていて、おまんじゅうの甘さと
程よく調和する。

「さすが、おばあちゃん」

その後は、数学の教師をされている息子さんのHPを
先ほどのVAIOを使いながら見せてくれた。

そこに記されていた息子さんの教育理論をとうとうと語ってくれた。

別のお客さんが入ってきたのと入れ替わりで、
僕らは再び駅に向かった。

帰りは鈍行で4時間という予定だったが、
最後まで快適な旅にしたかったので、
行きと同じくスペーシアきぬ号。

車内ではアイスクリームを食べた。

よく食べた旅だった。

北先住からの車内はいつもの感じだった。

地元の駅に着いた頃は、7時過ぎ。

名残惜しいこと、思い残すことは何もない。

思い出をブログに書き記すのみで十分。


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鬼怒川の旅 その1

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教会の友人と鬼怒川に行ってきた。

昨晩から今日にかけての旅行で、
年末年始休みを締めくくるのに最高の時だった。


昨日の5時過ぎに教会を出た。

北先住からスペーシアきぬ号に乗り込み、
あとは、2時間弱鬼怒川までの道のりを楽しむだけ。

早速、今日教会であったことなんかを語り合った。

ちょっと、鉄道トークになるが、
このスペーシアきぬ号は乗り心地が良い。

頭部の部分が固定できるように配慮されている。
座席間にゆとりがあり、リクライニングをMAXで
倒されても狭いと感じることがない。
そして足置き場もある。

「有料特急とはそんなもんだよ」

と言われてしまったら、何も言い返せないのだが、
日頃、頑張っても、湘南新宿ラインのグリーン席くらいしか
乗らない自分にとっては、大変乗り心地が良かったのだ。

そんなことを言っている間に、鬼怒川に着いた。

時刻は8時過ぎ。

東京より寒く(3?4度低いか?)、
お腹も減っていたが、まずは記念撮影。
(写真はその時のものです。僕じゃないです)

調べておいた小料理屋に行き、
座敷の席に通してもらった。
旅行客と見たか、女将さんが、

「寒かったでしょ」

と、気遣いの一言を言いながら、
石油ストーブのスイッチを入れてくれた。

天ぷらの盛り合わせ、合鴨の刺身、牛すじの煮込み…と
一品料理をいくつかたしなみ、しめは梅茶漬け。

「いや?、日本人で良かった。」

和食が旨いといえるのは、なんて幸せなんでしょうね?


しかし、ここの店の素晴らしさは料理だけじゃなかった。

女将さんが「こんな寒い中じゃ」と、
ホテルまで送迎してくださると言うのだ。

「く?、嬉しいです。」

身に沁みる親切。

「ありがたや?」

でした。

ホテルに着き、小奇麗な和室の部屋が
僕らの部屋だった。

鬼怒川の町並みを一望したら、
浴衣に着替え、温泉にレッツラゴー

僕ら以外は誰もおらず、温泉を独り占め。

もちろん、露天風呂もあり。

その辺の調査に抜かりはない。

誰にも気を遣わず、小一時間、
風呂でのんびりと過ごす。

温泉に負けず熱くなって語り合うこともあれば、
共に黙り込み、マイワールドに没入することも。

気を遣わない仲だからこそ、
話すのも黙るのも自由。

旅行は誰と行くか、これは旅の8割は決めるといっても
過言ではないですね。

入浴後は、和室に用意されていた日本茶をすすり、
種無し梅をかじる。

そして、お互いの将来のことを語り合う。

時間も忘れ、気の赴くままに。

電気を消した後は、すぐにフォーリンスリープ


つづく
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06NC鍋会

鍋

ここ最近、

「ヒデさんのブログは仕事以外の
ことが多くなってきましたね」

と言われることがちょこちょこある。

お正月なので、なおさらそうなのかもしれない。

でも、来週からは仕事が始まるので、
安心していてくださいね。

なので、もう少しの間は、僕の身の回りで
起きたことやそこで考えさせられたことを
中心に分かち合わせてくださいね。


さて、今日は2006年NC(※全国集会)の準備委員と
鍋会をした。

(※全国集会…KGKの学生が北は北海道から南は沖縄まで、
全地区の学生が一斉に集う3年に1回の集会。次回は2010年)

僕は当時、NCを主催した全国協議委員として、
この準備に関わっていた。

準備委員には同期が多いので、
卒業後もこうした会が今でも行なわれる。

僕は久しぶりに顔を出した。

鍋会だった。

僕は最近、鍋率が結構高い。

「3人寄れば文殊の知恵」
と言いますが、

僕の場合は、
「3人寄ればとりあえず鍋」

です。

鍋を囲むと自然と笑いに包まれ、
和やかな雰囲気になります。

鍋を突っつきながら、やいやい言うのは、
Japaneseの国民性には合っているんでしょうか。

「おい、それ俺の肉だよ」
「早いもの勝ちだよ?」

なんて会話を楽しむのがいいんでしょうね。

もう20台後半を迎えた連中がほとんだったので、
そうしたことはありませんでしたが…

ちなみに今日は塩鍋とカレー鍋でした。

うどんでしめましした。

カレーうどんになりました。

うまかった。

一人当たりの値段も3桁ととってもリーズナブル!

やっぱり、このシーズンは鍋に限りますね?

ちなみに写真は
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ふと思ふ

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この一週間はのんびりと過ごさせて
もらっている。

そのためか、一日がわりと長く感じる。

「平穏だな?」

と思う。

今年に限ったことではないが、
毎年年末年始はいつも思う。

何でだろうと考えた時、
社会全体がこの時期は
のんびりするからなんじゃないかと思う。

元日は多くの店が閉まる。

新聞も普段よりは落ち着いた記事が多いような気がする。

TV番組ものんびりとしながら見るようなものが多い。

町を歩いても交通量や人通りは少ない。

社会全体が、この時期はのんびりとし、
休もうとしているんだと思う。

だからなんだろう。

こののんびり感と平穏な感じ。

自分だけが休んでも、周りが騒がしく忙しくしていると、
結局、あまり休まらなったりする。

夏の時期の休みよりもこの時期の休みの方が
のんびりできるのは、そのためなんだろう。

う?ん、のんびりは良いもんですね?
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今年もよろしくお願いします

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新年を迎えました。

今年もどうぞよろしくお願いします!

ところで、

おしるこはおいしいですよね?!

僕は快調に食べています。

そのせいか、もう、飽き始めてきてしまった…

年明け解禁にすれば良かった…

でも、気を取り直して。

今日は元日です。

年の初めというのは、色んなことに挑戦したいと思う
時期ではないでしょうか。

僕は元旦礼拝後、牧師や伝道師と教会のことを
色々と話しました。

有意義な時でした。

それにしても教会は、いつまで経っても存続し続けるんですよね。

「教会が教会として存在し続ける」

それが教会の使命であり、存在意義なんですよね。

しかし、一言加えるならば、

「教会が『キリストの』教会として存在し続ける」

というと、教会の存在根拠が明示されます。

今年私たちの教会はどうなっていくのか、
今は期待しています。

今年も教会がキリストの教会として一つ一つの部分が
ふさわしく研がれ、愛のうちに結び合わされ、
組み合わされていくことを共に目指していきたいと思いました。


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| KGKヒデ主事の徒然日記 |
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