KGKヒデ主事の徒然日記

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IFES祈祷会

IFESkitoukai.jpg
昨日はIFES祈祷会。

実は昨日から、4名のシンガポールFES(シンガポールのKGK)の学生が
来日している。
(さらに一人の卒業生がこの後来日する)

KGKの学生とシンガポールFESの学生が交わる
貴重な時だ。

この集会は、世界宣教のために、

「(相手を)知って祈る」

のがテーマ。

その相手とは、まさしくシンガポールの4名の学生たち。

当初の予定では、彼らがこの集会に参加し、
彼らの生の声でシンガポールFESの活動状況を
報告してもらい、一緒に祈り合うはずだった。

しかし、新型インフルエンザの影響のため、
来日が1週間遅れ、この集会の最中に日本に
到着することとなった。

集会中、

「今、シンガポールの学生が成田に着きました」

という報告があった。

パワーポイントで紹介されたシンガポールFESの活動状況。

「知って祈る」というテーマで語られた説教。

これらが指し示していた場所は、もはや、
シンガポールという海を越えた遠いところではなく、
成田空港となった。

まだ彼らとは会っていないのだが、同じ国にいることを
意識できただけで、何だか急に近しい感じがしてきた。

互いに祈り合う関係が構築されていくには、
何よりその相手に実際に会うことが一番なのだ。

彼らは3週間滞在する。

KGKと祈りの交わりを育む時になることを期待している。

P.S.写真は集会後、シンガポールFESの学生たちのために、
購入したたすきに自分の名前を書いている学生たち。
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説教演習

主事の大切な働きに説教がある。

主事たちは時々、お互いの説教を聴き合って、
批評し合う(良い意味で)説教演習の時をもつ。

昨年の12月以来で、今回もまたKGKの主事以外の方々が
参加してくださった。

他団体のスタッフ、教会での伝道師といった方が
きてくださった。

今回、説教をしたのは、4月から関東地区の主事になった
N主事とある高校生伝道でスタッフをしているSさん。

N主事の説教は、大卒ルーキーとは思えない素晴らしい説教だった。
(期待していなかったという意味じゃありませんよ!
予想以上にすごかった!ということ)

文学的な語り口で、印象的な言葉が多い説教者。
だから、何を聴衆に残すかが問われてくるんだろう。
(T元主事と似ているところが少しあるかも)

Sさんの説教は、実際に高校生に語った説教ともあって、
語られている高校生のリアリティーが垣間見えた。
彼らのことを祈って言葉が練り上げられていた。

ゆっくりと、優しく、柔らかいタッチで語る方なので、
聞きやすく、また、言葉遣いも平易なので、わかりやすい。

この道のプロだなーと感心した。

説教演習後、遅めの昼食を交えながら、お互いが説教をする際に
覚える課題や難しさなどを分かち合った。

分かち合いはとめどなく続き、気づいたら…

僕は説教する機会がなかったが、
今回もまた自分の説教を吟味する良い時になった。

うーん、やっぱり説教演習は大切ですわ。
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首都大学東京

首都大学東京

なかなか言ってくる大学名だ。

なんてったって「首都」。

「俺は首都東京にある大学だ、てやんでー」

といわんばかりの名だ。
(こんなことを思うのは僕だけかしら…)

こうした入りも時にはアリですよね。

一応、一言。

首都大学東京の学生さんが、
傲慢な方々ではありませんので、
誤解しないでくださいね。

さて、この首都大学東京の聖研に行ってきた。

国際交流会館で聖研。

キャンパス内の少し外れたところにあるためか、
あまり学生の出入りが少ない。

最近、聖研のメンバーに誘われて来始めた未信者の方、
また、「集会」出身のクリスチャンの学生が新しいメンバーとして
来ていた。

ニコデモの箇所からだった。

新しく生まれるとはどういうことかを皆で
やいやい他の聖書箇所を調べながら話し合った。

未信者の方は、聖書を学びたくて参加していたので、
聖研中も色々と質問していた。

また、集会に集うクリスチャンの学生は、
「確か、福音書の始めには…」
と、集会ならでは(?)のよく聖書を読んでいるなーという
適切な聖書引用があった。

こうなると聖研は楽しい。

来月の訪問も約束したが、楽しみだ。
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教会史を学ぶ意義

このブログでも何度か書いたので、
知っている方もいらっしゃると思うが、
私は4月から毎週月曜日の夜に、
神学校の聴講に行っている。

教会史の授業を取っている。

KGKで同期のM君や今年I大を卒業した
M君などの知り合いがいるので、
学びをしていて心強い。

たいてい前者のM君と一緒に帰る。
(寂しいわけではないが…いや、やっぱり寂しいのか?)

たいていその日の授業の内容を振り返る。

たいてい授業の内容に唸っている。

(「たいてい」を3連続で重ねてみました)

今週の帰り道は、教会史を学んでいると、
視点が広がるという話になった。

ちょうど、その日の授業で、コンスタンティヌスが
キリスト教に与えた影響についてであったからだ。

「えっ、それってどういうこと?」

彼がローマ帝国の皇帝になり、キリスト教徒への
迫害はなくなった。(完全にではないが)

礼拝の様式には、古代の神々を祭っていた時の儀式の一部が、
取り入れられて変化したり、祭司の立場も特別化していった。

また、国家と教会の関係が緊密になり、教会を一つにまとめるためには、
教義を一致させる必要が生じ、ニカイア公会議が開かれた。

公神学という、コンスタンティヌスを神の摂理と結びつける
思想が登場した。

それに反動してか、キリスト教の世俗化を危惧して、
陰道士、修道士、修道院が登場し、発展した。

このように、コンスタンティヌスの登場は、
キリスト教会に大きくかつ様々な影響をもたらした、という授業だった。

これらの変化は、その時代のレスポンス(orリアクション)として
ある種の必然だったのだろう。

安易にコンスタンティヌスの登場やその影響を、
神の御心かどうかと判断することはできない。

むしろ、私たちは、このコンスタンティヌス登場以後の延長線上に、
生きているという自覚することの方が大切だろう。

歴史の大河を見渡す中で、私たちの潮流は今どのように流れ、
これからどこへ向かうべきなのか?
という視点を養うことが大切なのだろう。

こんなことを考え、また、M君と話していた中で、
神の御心ということに話が及んだ。

M君が、
「教会史を学んでいると、簡単にあれは神様の御心だったとは言えないよね」
と言った。

まさしくそうなんだと思う。

僕らキリスト者はいつも神の御心を問いながら生きる、
求道者であるが、しかし、いつも神様の御心が分かって
生活できるというわけではない。

時間を経て、他の出来事と結びつくことによって、
初めてその時の出来事の意味が分かることがある。

教会史を学ぶ意義は、まさにそこにあると思う。

ある出来事の意味が、後の出来事と結びつき、
意味を与えてくれることだ。

そこに神様のご計画を覚える。

しかし、だからと言って、時を経れば、
神様の御心がわかるという公式でもない。

コンスタンティヌスの与えた影響も、およそ1700年が経つ今も、
未だ意見がわかれるところらしい。

むしろ大事なのは、僕らは、否定しようと、肯定しようと、
その過去を礎にして今という時代を生き、作り上げていることだ。

うーん、教会史の授業は楽しいな?♪
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町田る

町田
一昨日、実行委員会の学生たちと町田で遊んできた。
※実行委員会:KGK全体の運営や諸集会・合宿などの企画を行なう委員会


Round1でビリヤードとボーリング。

ハスラー田中と呼ばれることはついになかったが、
ミラクルショットを2,3回打ち、俺はなかなかだと思った。

ボーリングは熾烈な争いだった。

ストライクの後にガーターはしていけないことを学んだ。
(この辺りの詰めの甘さは、僕の人生を象徴しているよう…)

で、一日に経って筋肉痛が微妙に…
(最近のお決まりです)


それにしても、実行委員会は

1月から2月まで猛烈な全速力で走り、
3月から今に至るまでは息切れしながらも走り続ける

という状態だったような気がする。

それぞれ就活やその他様々な責任を負いながらでの奉仕である。

本当にみんなよく頑張っている。

でもまだ半分も終わっていない。

そう、先は長いのだ。

ずっーと走っていると、止まることに勇気がいる。

でも、この勇気が大切だ。

ブレイク入れながら、このマラソンを完走しよう。


それにしても、夕食に食べた「海の幸のピザ」は美味しかった

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多摩ブロッ祈

多摩ブロッ祈
今日は多摩のブロック祈祷会だった。

メンバーが随分替わったーなというのが印象。
(男女比もなんと9:1→4:3に!)

地区新歓に参加した新入生、
メールでやり取りした末、2年越しにブロッ祈に初めて参加した学生、
音信不通になっていた学生

などが参加し、いつもとは違った顔ぶれが揃っていた。

これはたまたまではないと思っている。

ブロック役員が担当学校をもち、
担当の学内に祈祷課題を聞き、
連絡を取るようになったからだ。

また、4年生が個人的にブロッ祈を誘ったりという
陰ながらの努力もあってのことだ。

そうしたことゆえの今日の参加者だと思っている。

メッセージの後、各学内の祈祷課題をまとめた用紙を
見ながら、祈祷課題の補足をしてもらった。

初めて来た人たちには、「何のこっちゃ」というところがあったと思う。

でも、そこで分かち合われた言葉に耳を傾ける中で、
先輩たちの学内活動への思いや熱意に触れてくれただろう。

今年の多摩ブロックも楽しみだ
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スカイプ会議

face-to-faceLOGO.jpg
これが時代の潮流なのか?

人生初のスカイプ会議。

10同期会の世話役たちと2時間近くに
渡って会議をした。

お互い場所は全く違うところにいる。

でも、同じ一つの空間を共有しているような
不思議な感覚がある。

何だか奇妙な感じだった。

相手の顔も見えず、黙ることに間を取るしか、
誰かが話そうとしたいのかもわからない。

でも、自分の姿が見られていない分、
本人の気は楽だったりするのだろう。

実際、確かにそういう面はある。

チャットなんかが流行るのもこういう面が良いからか?

忙しいからということで、スカイプ会議をしまくったら、
きっとこうした形態に慣れてしまうのだろう。

そうすると、相手の表情が読めないことに不安を覚えることも
なくなってしまうのだろうか?

もしそうならば、人間として大事な感覚を失ってしまうよう
気がして恐いなーと思う。

それは人格的であるという感覚だ。

やっぱり顔と顔を合わせての会議を
大事にしたいと思った。

人格的とはFace to Faceから始まりますよね?

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中大

中大聖研

5月と言えば学校訪問。

各学内、新しい顔ぶれでの活動となり、
訪問することで少しでも力になれたらと
願っている。

今日は中大に行ってきた。

週3回の聖研があり、この曜日の聖研では、
ルツ記を学び始めた。

今日はその1回目。

春期学校で初めてKGKを知った2年生や、
新入生、聖研には久しぶりの学生が集っていた。

フレッシュな顔ぶれだった。

僕を含めないで6人の学生が集っていた。

聖研の箇所はルツ記1:1?5。

ナオミ一家が約10年間モアブの地に滞在したことを
丁寧に学んだ。

夫を亡くし、息子も失ったナオミ。

モアブの地での10年間は、ナオミには、

「全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから」

とあるように、肯定的には受け入れられない期間だった。

「神様なぜですか?」

と訴え続けた10年間だったのだろう。

今なお受け入れることができない、
もしくは、あれは苦しみでしかなかった、
としか言えない出来事は、私たちの人生にもあるだろう。

もしくはこれからあるのだろう。

目の前にいる学生たちはこれから様々な経験をしていく。

もしかしたら、ナオミのように予期せぬ形で苦難の時を
10年間過ごす者もいるかもしれない。

そうした中でも彼らが信仰に立ち続けていけるように、
それを励ますのが、僕の使命なのだと思わされた。

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10同期会合宿?

10同期会合宿@高尾の森
2日目は現在○○新聞の記者である卒業生のOさんが、
ご自分の職業を踏まえて、働くことにおける4つの教訓を
話してくださった。

1、確かな人生は礼拝を中心とすることから
2、他人の嫌がる仕事も「はい喜んで」嫌な相手にも「主にするように」
3、グレートコミュニケーターを目指せ!
4、稼げ、そして献げよ!?カネと時間は価値観の表れ

この話しとグループタイムの後に、
学生時代の学内活動について分かち合ってくださった。

Oさんは○○新聞の記者になって最初の3年半は、
整理部と呼ばれる部署への配属だった。

ひたすら記者のお膳立てをする編集の仕事だった。

その後、産業部門の記者として配属されることになったが、
社内で難しい上司と一緒にチームを組んだりすることも。

やる気やモチベーションの低下、困難や難しさは、
どんな立場にいても、いつだって付きまとう。

その中でどのようにキリスト者として向き合うかが
大切である。

それは結局、

神を神として会社の中でも礼拝し、礼拝を守るために時間を調整し、
誰が見ているからでもなく、全力でベストを尽くして仕事に取り組み、
同僚ときちんと対話する(話を聞く)関係を作り向き合う、

という基本的なことが言われていたように思う。

そしてこのことは、Oさんが最後に分かち合ってくださった
学生時代の学内活動の頃にも本質においては同じように
問われていたことだった。

だから、今をどう生きているかが問われるのだ。

確かにそう思う。

自分の学生時代の生き方が、
今主事をしている上での基盤になっている。

就活とは、まさに今の生き方を問うことに
他ならず、本質においては学んでいても、
働いていても、基本的には同じなのだと思った。

それにしてもこの日の場所が教室だったのは、
「高尾の森わくわくビレッジ」という施設だけあって、
わくわくさせてきましたね?


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10同期会合宿?

10同期会合宿に行ってきました。

今回は進路選択に際する「不安」を切り口にして、
キリスト者の生き方について考える時を持ちました。

Y主事が、

「働くことと家庭形成こそが、
人生で最も願うことだが、
最も不安を覚えること」

だと語られた。

また、この2つは、創世記に見られる通り、
神様が人間に与えられた使命でもあった。

人間の願望や期待、また不安や恐れが最も露わにされるのが、
労働と家庭形成なのだ。

10同期会ではこの2つをテーマに学びをしている。
(今回は働くことについて学ぶ2回目の合宿だった)

夏以降は、恋愛・結婚・家庭形成のテーマに移り、
3回もので学びをする。

さて、話を合宿に戻す。

エレミヤ書の29章には、バビロンに捕囚として
連れて行かれた民に語られた主の言葉が記されている。

民は、故郷を失い、神殿(礼拝)を失った。
偶像崇拝という罪の刈り取りであった。

神はしかし、その地で、神殿がないその地で、
この地の繁栄のために祈るようにと求められた。

それがイスラエル民族の繁栄にもなると主は約束された。

こうしてあの有名な29:11のみことばへとつながる。

神の平安を与える計画であり、
将来と希望を与えるものは、

罪の刈り取りと今いる地で神の前に誠実に生きる先にある。

不安を克服することは自分の現実を、
目を見開いて直視し、悔い改めて生きることである。

不安から逃げたり、すり抜けたり、不安をごまかしたり
することでは解決にならない。

そして、不安の中で神が与える”もの”ではなく、
神”ご自身”が、究極的に平安を与えてもたらしてくださるのだ。

その神と共に、生涯色褪せないものを求めていくのが、
人生に軸としなやかさをもたらし、あらゆる困難(不安)に
立ち向かう基礎を築いていくのだ。

切り口の違いはあるといえ、
基本的な姿勢は前回と共通することが多かった。

しかし、ある学生が

「前回はリアリティーがなかったですが、
今回はとっても心に響いてきました」

と分かち合っていたことからも、
同じことを語り続けて楔のように打ち込んで
いくことが大切なのだ。

明日は2日目から。
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合宿行ってきます!

今晩から10同期会合宿。

参加者は20名弱と少なめですが、
内容は期待大!

高尾の森わくわくビレッジで行ないます。

講師はY主事とOさんというKGKの卒業生(現役日経新聞記者!)。

部屋は40名なので、もし、興味のある方は、
当日急に来てもウエルカムです。

ちなみに集会は、

初日:19:30?
2日目:9:00?

です。


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D大訪問

D大に行ってきた。

この学内には今年になって4名の新入生が紹介された。

先日の地区新歓にも2名が来た。

今年からリーダーの「Mったれ」君

今日は彼と一緒に「祈り会の手引き」を使って、
祈り会をする意義と実際にどう祈り会をするかを学んだ。

あまりうるさくない場所が良いと注文をした。

最初は学生がゲーム(任天堂DSか?)をしている
団欒スペースにしようという話になったが、
僕にはうるさかったので、即却下。
(Mったれ君、ゴメンね?)

階段を昇ったら、どう見てもデッドスペースにしか
思えない空間があった。

しかし、長椅子が3脚あり、誰からも邪魔されない空間だった。

その上では、授業が行なわれていて、声が聞こえてきた。

「学校だな?」

という実感。

また、授業をしている先生の声があまりにもよく聞こえたので、
ここで僕らがテキストを輪読したらうるさいかなという緊張感があった。

幸い、誰にも邪魔されず、
また、僕らの声にうるさいと教室から言ってくる者もいなかった。

ブックレットを使っての学びを終え、
Mったれ君が、

「ますます学内で祈り会をしたくなりました」

と言っていた。

僕もまたここに来て、今度は彼と一緒に(願わくならば新入生も)
祈り会をしたいと思った。

約4000人が学ぶこの大学で、

「祈りの灯火が灯されるように」

と、帰りの電車の中で祈った。



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身内の教会訪問

今日は教会訪問だった。

僕の所属教会からの開拓教会。

実は主事になってから一度もご挨拶に伺っていなかったので、
かねてより訪問しようと考えていた。

場所は埼玉県の吹上。

東京の世田谷にある僕の教会とは
地域性がずいぶん違うことを車に乗りながら思った。

しかし、教会に着いて、ひとたび先生と話し出せば、
僕の教会と同じ福祉作業所の施設のことや教会のことなど、
身内話で時間はあっという間に過ぎた。

こちらの作業所で作っているパウンドケーキを
茶菓として出していただいた。

最近、パウンドケーキにマーガリンではなく、
バターを使い始めたことを嬉しそうに話してくださった。

身内だからこうした話で盛り上がれるのだ。

教会訪問だったが、何だか自分の教会を訪問したような
時間だった。
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学セミ??ふっ切れた学生

学セミ?
僕が担当する多摩からは6名が参加。

ブロック役員3人は全員参加。
(でかしたぞ!)

ある学生(女性)は、最近新入生が二人紹介された。
しかし、彼らは共に男性だ。

僕は学セミが始まる前に、この学生の大学に訪問し、
彼らと学食で昼食を共にした。

「何学科なの?」

と聴くと、

「救急救命学科です。」
(”きゅう”が3回続いている?)

と、2人とも体育会系の青年だ。

男性主事の僕が訪問して良かったと思った。


その学セミに参加した学生に、学セミの感想を聞いてみた。

そうしたら、

「結局は自分なんですよね?」

とふっ切れた感じで一言。

そう、学内活動をする時に心を萎えさせるものは、
自分が置かれた状況や環境。

やる気があっても、こいつらのせいで、
遅々として学内活動が進まないのだ。

いくらお祈りしても自分に都合の良いように
状況が変わらないことはある。

だから、問われているのは、結局その状況でも、
自分がどう神様に応答するかということ。

そしてこの「ふっ切れる」ことが学内活動において大事なのだ。
(いや、人生全般ですね)

『皆さん、最近、ふっ切れていますか?』
(栄養ドリンクのCMみたい…)


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学セミ??主事祭り

学セミ?
先週の金、土に学内活動セミナー?(「学セミ」って略すんですよ!)が持たれた。

KGKの中心である学内活動を励ます合宿。

毎年、だいたいこれくらいの時期に持たれる。

メッセージ、分科会を担当するのは、All主事。

右を見ても、左を見ても関東地区の主事ばかり。
こりゃあ主事祭りだわさ?
(言い過ぎか…それに何だその言葉遣い…)

主事はこの時ばかりぞと全員参加。

それは、学内活動を励ますことこそ、主事の使命だからなのです。

初日、2日目の主事たちの説教は共に、自分たちの学内活動を問うものだった。

「うーん、さすが先輩主事たち」

と感心したのでした。


明日へ続く
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修養会に行ってきました

ご無沙汰していました。

GWはブログもお休みしていました。

ところで、毎年GWにはうちの教会で修養会(バイブルキャンプと呼んでいます)が
行われます。

この数年は準備委員も担当しています。

今年は記念すべき50回目でした。

1960年から毎年開催されてきたのです。

毎年、その年の教会のテーマを学ぶ時になっています。

今年はどうだったかって?

「行きて実を結べ」(ヨハネ15:16)

これが今年度のうちの教会のテーマとテーマ聖句。

今回は講師に○分寺バプテスト教会のY先生を
お迎えしました。

タラントの譬え話の解釈はなかなか興味深かった。

タラントはそれぞれのしもべの能力に応じて支払われた
ということから、タラントと能力は別物であるというのだ。

このタラントとは、様々な議論があるようだが、
聖書からは主人の財産であったことがわかる。

財産を渡すことは、ユダヤ人にとっては自分の割り当て地を
譲ることであり、それは命を渡すほどのものなのだ。

ということから、タラントとは「神の御子ご自身」ではないかと
説明されていた。

タラントとは、自分を活かすアイテムや能力といった
軽いものではないのだ。

自分を活かすどころか、周りの人々をも活かし、
どんなに使っても枯渇することがないのだ。

「行って実を結べ」と私たちを遣わす神様が、
私たちにまずイエス・キリストを与えてくださっているのだ。

実を結ぶとは、単なる自己実現とは違う。

このキリストが自分をはじめ、
周囲の人々をも活かしていくことなのだ。

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新入生歓迎会

地区新歓
関東地区KGKで最も人が集まるのは、

『地区新歓』

と呼ばれる行事である。

今日はその日。

KGKが初めての学生は90名で、
2度目以降の学生は80名で
計170名。

Wow !

こんだけの人が一同礼拝堂にひしめくと、
一足早くGWのディズニーランドの混雑さを
味わったようだった。
(そんな時期に行ったことないけどね?)

?部は集会。
A主事からのメッセージは、そんな混雑さで
賑わう礼拝堂に、ある種の爽快感を感じさせた。

御言葉に聴くことは、白か黒かをはっきり示してくるという
内容のシャープさゆえだろうか。

?部はゲームとお菓子タイム。
文字並べゲーム。
指定された文字数と出されたテーマで言葉を考える。
(たとえば5文字で国名とか)
それを床に落ちているひらがな、カタカナを拾って、
いち早く組み合わせると勝ち。

結構盛り上がった。
(僕もやりたかった…)

ジェスチャーゲームも面白かった。
単純にジェスチャーをして、それを当てるだけだが、
制限時間が短いので、みんな必死になって恥を捨てて
挑んでいた。

「笑っていいとも」の曜日対抗いいとも選手権を見ているようだった。
(いや、それより盛り上がっていたな?)

お菓子をつまみながらの自己紹介は気楽に過ごせる時間だった。
そして、お菓子も余らず全部完食。
流石、お菓子係。素晴らしい!

?部はブロックタイム。
各ブロックの取り組み、学内の様子を紹介。
KGKに興味や関心は持ってくれたのでは?

時間も予定通りだった。

Wonderful !

奉仕者の皆さん(特に準備委員)、本当素晴らしい準備でした。


帰りは多摩ブロックのメンバーと大戸屋で食事。

ここに来ると、いつもほっけの塩焼きを食べている。

何でかは知らないが。

それにしても、今日のほっけはいつもより美味しかった気がする。

お疲れ様でした。僕も。
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