KGKヒデ主事の徒然日記

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全国理事会

091026_1512~01
この前の日、月とオリセンで全国理事会が開かれました。

僕も参加させて頂きました。

学生の時以来でした。


理事はそれぞれ日曜日の主日礼拝を
終えて駆けつけてくれました。

北は北海道から南は九州まで。

年齢は30台?66歳の方々。

21人の理事と陪席の主事を合わせての理事会でした。

「KGKのために理事の方々は熱い思いをもって支えようとしてくださる」

学生時代に参加したときに思ったことは、
今回もまた同様に思ったことでした。

ところで、僕が学生時代に理事会に参加しての帰り道に、
Y主事から

「理事会どうだった?」

と感想を尋ねられて、

「主事も意外と腰が低いんですね?」

と答えたことを、

今回も参加したY主事から思い出せてもらいました。

自分が主事になって参加してみて、
理事たちへの感謝を思えば、
腰の一つや二つ低くなるのは「それゃあ当然」
というか、自ずと体は動くものだと
よくわかりました。

何もわかっていなかった学生だったなーと、
しみじみ。

今回僕が参加したのも、
理事の皆さんの頭が効率働くようにということで、
茶菓担当主事としてでした。
(自己紹介でこう言ったら皆さんから笑われました…)

ところで、
学生時代の僕に比べ、今回学生理事として参加したI君は、
理事会の学生報告の時に、理事から突っ込まれて
質問された時にも、自分なりにしっかりと答え、
また、食事の時も自分から自己紹介をしたりと、
素晴らしかったです。





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関東地区主事会合宿

先週の木曜日から土曜日まで、
関東地区の主事会の合宿でした。

今年度のそれぞれの担当する働きを
振り返って評価し、来年度や
もう少し先の働きの展望を
自由に話し合いました。

その中で、KGKが、学生”伝道”団体
であることを覚えていかなければならないと
いう話になりました。

KGKでは「全生活を通しての証し」という言葉を
もって、キリスト者の生き方を通して伝道だと
説明します。

が、時にこの言葉が、逃げになっては
いないだろうか。

KGKは時々「伝道していない」と言われることが、
ありますが、もしかしたら「全生活を通しての証し」という
言葉の意味を、もう一度私たちが問い直す必要があるのかもしれません。

こうしたことを話したのですが、
主事はみんな燃えていました。

3時間ノンストップで話し続けました。

僕らは学生伝道に仕える者たちだなーと思った時でした。


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給食伝道

荒川の河川敷。

路上生活者が約300人程集まる。

みな男性。

10人ごとの列が整然と30強続く。

最初は礼拝。

讃美が始まる。

慣れた感じで讃美が歌われる。

歌詞を見ながら一生懸命歌う人。

退屈そうに歌う人。

黙っている人。

礼拝に対する思いは明らかだ。

続いて主の祈り。

「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」

が祈られる。

「われら」
「日用の糧」
「今日も」
「与えたまえ」

目を瞑りながら暗誦していた人もいた。

この祈りがどれほど切実なのだろうかと思う。

ここには、2?3時間かけてやってくる方々もいるようだ。

続いて説教。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのもとに来なさい。」

300人の路上生活者にこの御言葉はどう聞こえたのだろうか?

気休め?
自分とは関係ない?
ここに慰めがある?

この方々に御言葉を語り抜くこと。

それは私たちの人生も試されているようだ。

30分程度の礼拝を終え、いよいよ給食。

まずはでっかいベーグルを各自に2つずつ支給。

学生と一緒に列の先頭の方に、
リレー方式で渡していく。

受け取る方は慣れている。

しかしビニール袋から取り出して誰も食べようとはしない。

これは別の機会に食べるために、
とっておくのだと思われる。

またメインディッシュもこれからだ。

ご飯の上に野菜とお肉がたっぷりのお味噌汁が
かけられる。

さらに、キムチと玉子焼きが上に乗る。

ボリューミーだ。

これを両手にもち、300人の路上生活者のもとに向かう。

僕はふと思った。

この両手にもっているご飯。

それはイエス様の愛なのだと。

説教で語られた、
イエス様が私たちと人生を共に歩んでくださる、
助けてくださるということ。

それはまさしく今僕が両手に持っているご飯ではないかと。

そう思ったとき、
この働きが「給食」ではなく、
「給食伝道」だとわかった。

これはイエス様の愛を具体的に伝える働きなのだ。

確かにお腹を満たして帰って欲しい。

でも、知って欲しいのは、イエス様の愛。神様の愛。

食後は無料で薬を配ったり、
簡単な診断もしてくれる。

毎週水曜日の午前中に病院を
休んでここで奉仕をするドクターも来ている。

荒川の河川敷。

イエス様の愛が満ち溢れる。
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中大で見たキリストのからだの建設

久しぶりの学校訪問。

7月以来だから、実に3ヶ月ぶり。

先陣を切って訪問したのは、中央大学。

昼休みのDPMと3間の聖研に参加した。

聖研後、ある学生から

「実は聖研があまり面白くないんですよ」

と相談された。

その学生の話によれば、もっと聖書の背景や原語の意味が
わかり、神学的な理解が深まる中で、
「やいやい」と言い合う聖研がしたいようだ。

聖書そのものを学ぶだけではなく、
聖書を理解するために必要な学びが、
今、学内に必要だという問題意識。

これは大事なことだ。

聖研は自分のフィーリングにはまった所を
みんなで分かち合う交わり会ではない。

当時の背景や文脈、教理的な理解が備わって、
聖書の理解は深められる。

さらに、プラスするならば、人間理解も必要だ。

そういう知識が増す中で、お互いが自分の現実に即して
聖書から分かち合う時、その聖研はきっと面白いはずだ。

今日の聖研箇所はKGKスピリットを学ぶ『神に遣わされて』の
テキストの「超教派」から。

今年の関東地区の年間テーマ聖句のエペソ4:16の箇所だ。

学内聖研について真剣に話し合っている学生たちの姿は、
まさに、そこでキリストのからだを建て上げていた。


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悔い改めの消失

キリシタン史の2回目。

講師はY主事。

今回は、遠藤周作の「沈黙」を題材に、
日本宣教の本質的な課題と向き合った。

沈黙が問いかけるもの。

それは何より「弱者の復権」

殉教してまで踏絵を拒み、信仰を貫いた者たち。

踏み絵をしてしまい棄教してしまった者たち。

後者を「灰の中に埋もれてしまった人たち」と呼ぶならば、
その人たちを再び歩かせることが遠藤の言う「文学」である。

「沈黙」はそのために書かれた。

踏絵をしてしまった者たちの足の痛み、
その痛みを一番知っていてくださるキリスト。
キリストは人々に踏まれるために、この世に生まれ、
その痛さを分かつために十字架を背負った。

もはや、

「踏まないで、信仰を貫くぞ」

という緊張感に生きなくて良い。

「踏んでもいい」

という優しいキリストの語りかけが聞こえてくる。

踏絵は裏切りではなく、
神と苦しみを共にする愛の行為。

以上が「沈黙」の語る踏絵理解。

もはや悔い改めはない。

この悔い改めの消失こそ、日本の教会が
透徹した眼差しで自らを省みなければならないことだ、
と、Y主事は語っていた。

「悔い改めの消失」

教会という共同体で目を背け、

「あれは仕方がなかった」
「これは仕方がない」

としてしまっている罪が明るみに出されることは
痛みが大きい。

でも、それなくして真の意味で教会は
建て上がらない。

「悔い改め」

この言葉の重さを覚える。


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うちのオーブンレンジ

091013_2301~01

一昨日のこと。

駅前のスーパーで妻が買ってきたコロッケ。

その名も「鳴門コロッケ」

「はて、何故鳴門?」

と思いつつも、サツマイモで仕立てたという
コロッケに興味を惹かれ、鳴門はもはや
気にならなかった。

そんなことより早く食べたかった。

常温でしかもそんなにしなっていなかったので、
このままで良いだろうと皿に盛ろうとしたら、
妻に止められ、電子レンジで温めることに。

幸いなことに、うちの電子レンジは
オーブン機能も搭載。

揚げ物用の温め機能がある。

奴の住まいは「#6」だ。

使ってみた。

待つこと7?8分。

「ぶぅーーーーーーーーん。ピ、ピ、ピ。」

コロッケリボーン。

「おっこれはいけるか?!」

というボディーだった。

食前の祈りの後、逸る気持ちを押さえながら、
口にほお張った。

「さくっ!」

という感触。

この時に覚えた驚きと喜びとある種の戸惑い。

電子レンジなのに、なぜという戸惑いだ。

そして、少し遅れて

「うーーーーん、うまいっ!」

と感嘆の叫び。


どうやら僕は奴のレベルを見くびっていたようだ。

すまない、オーブンレンジ。

「お前のレベルは僕の想像を遥かに越えていたよ。」

恐るべし、オーブンレンジ。

昨日は天ぷらを#6に。

「どうだったかって?」

言わずもがなの美味さでしたよ。
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学セミ?

学内活動セミナー?

略して「学セミ?」

先週の金曜、土曜日に行なわれたKGKの合宿。

後期からの学内活動を始めるにあたって、
(既に始まっている学内もあるが)
御言葉と祈りの交わりから励まし合うときを持った。

参加学生76名。

夏のキャンプにも参加していなかった学生たちも
参加し、フレッシュな顔ぶれが揃っていた。

僕の担当のTブロックでは、
2日目の昼ご飯をいっしょに食べた。

1年生が3人参加し、
参加した分科会のことを分かち合っていた。

「伝道って、相手の弱さに寄り添うことが大切なんですね。」

とある学生が分かち合ってくれた。

自分の伝えたいことを伝えるだけが、
伝道じゃないことを学んだというのだ。

それを聞いていた別の1年生が、

「へー意外と熱いんだね」

と感心していた。

本気のクリスチャンに出会うことほど、
刺激されることはない。

そうした友に出会えるKGKの交わり。

僕も自分が1年生の同じ時期に、
当時ニューランナーズと呼ばれていた
集会に参加していたことを思い出した。

同じブロックの仲間と夜な夜な語り合ったことが、
自分がKGK運動に深く携わるきっかけとなった。

そういえば、この合宿では20人くらいの学生が
夜な夜な宿泊施設の近くのラーメン屋に食べに行ったとか。

学内のことを熱く語り合っていたのだろうか。

本気の仲間と出会え、語り合える。

それがKGK。

うーん、イイね?
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morning coffee

coffee.jpg
台風が過ぎ去ったためか、
ここ最近は天気が良い。

今日も爽やかな秋晴れが空を覗かせていた。

でも、そんな澄み切った空とは対照的に、
寝起きの僕の頭はぼんやりしていた。

こんな時、僕を起こしてくれるのは、
珈琲だ。

我が家には3種類の珈琲があるのだが、
その中の一つは酸味が比較的強く、飲み口が
爽やかなもの。

まさに寝起きにもってこいのmorning coffeeだ。

今朝の朝食にはこの珈琲が選ばれた。
(ナイスジャッジ、マイワイフ!)

おかげで目が覚めた。

「よし、行くぞ!」

と気合が入る珈琲なのだ。



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聖契神学校のリトリート

聴講で通う聖契神学校のリトリート合宿に
参加した。

この神学校には現在68名の学生(聴講含む)が
在籍している。

が、私は週1コマしか授業を履修していないので、
そのクラスの学生(15名)しか知らなかった。

ので、参加した。

テーマはファミリーミニストリー。

2日目に聖研(?サムエル16?17章)をしたのだが、
ダビデが王としてサムエルから油注がれる場面だった。

ここからダビデ家の祝福を読み取るという
質問だった。

が、僕は、どんなに読ん でも見つけられなかった。

しかし、周りの方々は、
父エッサイが長男から順番にサムエルに「どうですか?」と
差し出すところに親としての配慮があると分かち合っていた。

「ほーそう読みますか?」

これまでに全く意識したことのない聖書の
読み方だった。

そのような読み方をされていたのは、
子どもをお持ちの方々だった。

ライフステージの変化によって、
聖書の読み方も変化するのだろう。

僕の聖書の読み方もこれから変わっていくのだろう。
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僕が主事として大切にしていること

一昨日まで全国主事会でした。

来年度の予算や人事のことなどを
話し合いました。

今回は主事がそれぞれ採用面接の時に
書いた「学生伝道への思い」が冊子にされて
配布されました。

それぞれの主事が働きにおいて大切にしている
ことのルーツは、ここにあったと発見できました。

僕もまた自分の証を読む返し、
何でこんなことを書いたんだろうかと
思うことがありました。

それは僕が4年生の時に参加したCSC(現在はKBC)という
KGKのキャンプのことです。

僕のグループのメンバーの変わり様についてでした。

未信者が御言葉によって変えられていくこと、
クリスチャンが救いの確信を御言葉の中に見出したこと、
そのことに驚きと感動をしていたという内容でした。

証を書いた当時は、このキャンプでの出来事が、
献身者として歩むことを後押しする出来事のように
思うくらいでした。

しかし、主事として3年が過ぎ、4年目を過ごす今、
この証を読み直す中で、受けとめ方が変化していました。

自分の主事としての働きの土台がここにあることに気付いたのです。

御言葉が人を変えるほどに力強いものであること、
その喜びと感動を学生たちと共有したいこと。

それが僕の主事として働きの土台です。

だから、僕は「説教」を主事の働きの中で大切にしようと
思っているのだと気付きました。


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