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KGKヒデ主事の徒然日記

救いの証し?

昨日からの続きです。

一浪した末大学に入り、
そこでKGKの交わりに参加するようになりました。

浪人の頃からお付き合いしていた方がいたのですが、
その方はノンクリスチャンでした。

当時の私はそのことをあまり問題として考えることはなく、
むしろ、自分はその方を大切にしているという自負心さえありました。

しかし、KGKの交わりで知り合った友人から、
そうした私の付き合いが良くないことであることを柔らかく言われました。

私としては意外な彼の言葉に戸惑い、驚きながらも、
確かに神様は今の関係を望まれてはいないではないか、
神様を喜ばせてはいないのではないかと思わされたのでした。

そして、このことは自分が長らくわからなかった
「人はみな死を持って償わなければないほどの罪人である」
ということの意味を初めてわかった時でした。

また、翌日読んだある方の証を通して、
神が愛なる方であることも初めて実感を伴ってわかった時でした。

十字架の有り難味がわかってきたのもこの頃からでした。

この出来事は余波を伴いました。

実は私はこの当時、救いの確信がありませんでした。

また、高校3年生のキャンプを機に聖書を慕い求めて読むようになったのですが、
聖書の中にはどうしても理にかなっていないように思えることがあり、
聖書を疑っていました。

そうした神にどこか信頼し切れない不安や不確かさが、
この出来事を通して取り扱われたように思います。

神ご自身への信頼が、聖書への信頼となり、
自分の救いの確かさを御言葉の中に置いて良い、
大丈夫だという確かな納得が与えられた出来事にもなったのでした。

この大学1年の出来事がきっかけで、
罪が赦されていることの喜び、そして、
神に仕えていきたいという喜びと積極性が私のうちに萌芽したように思います。

大学卒業後にKGKの主事として働くようになったことも、
この出来事がなければ恐らくなかったであろうと思います。


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