KGKヒデ主事の徒然日記

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バルメン宣言最終回

バルメン
『告白に生きる信仰?バルメン宣言を読む?』

と銘打って、昨年の4月から計10回学びを
積み重ね、今日、その最後を迎えた。

10回も学びを積み重ねると、
いつの間にか「これは何のための学びなのか?」
と目的を忘れてしまいやすい。

「バルメン宣言と日本の教会」というのが、
今日のテーマ。

結局、このバルメン宣言の学びから、
私たちキリスト者・教会が何を課題として
受けとめるべきなのかを、講師のA先生は
力強く語ってくださった。

その力強さは、教会を牧会する現実と対峙する中で、
生まれてきた説得力さだった。

先生が語ってくださった中でも特に印象的に残った
言葉が次のもの。

『神学的意識ばかり先走っても何もならない。歴史的知識を蓄積せよ。
知識が一定量以上に達してはじめて、神学的思考は作動し始めるのだ。』

先生はこの言葉を読まれた後、ご自身が20台の頃に牧会していた時を
振り返られ、色々と問題意識(神学的意識)があって熱くなっていたけれど、
何をどうしたら良いかわからなかった、という話をされた。

「神学的意識ばかり先走っても何もならない」

この言葉は私自身のキリスト者・教会人としての歩みを
吟味する言葉として聞こえてきた。

そして、

「歴史的知識を蓄積せよ」

ということが自分にとって何を意味するのかと考えた。

先生にとっては、ある神学者(兼牧師)の書籍を片っ端ら
読んだことが、そうした知識の蓄積に寄与したと仰っていた。

「よし、じゃあ自分もそうしよう」

と真似をすれば同じように蓄積できるというわけでもない。

「う?ん、じゃあどうしよう」

先生は「何をしたら良いか」ということだけでなく、そうしたことに
関心を向ける「アンテナ」が大切だと仰っていた。

また、

「事柄の本質を見極め、そこで何が問われているのかを考え抜く
粘り強い神学的な思索」

も。

自分の性格上チャレンジングなことだと思ったが、
改めて頑張ってみようとも思った。

2009年度は、

『思索のヒデ』

なんて呼ばれるようになるだろうか?

こんなことを言っている限り、ないかな…
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