KGKヒデ主事の徒然日記

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KGKの草創期にI主事あり

私の教会の牧師夫人は、
元KGK主事。
(以下、I主事、当時の姓のイニシャル)

KGKが草創期の主事。

今日は牧師夫人が、最近の僕の
顔つきがやつれてきたことを心配してくれて
少し話そうと時間をとってくれた。

最初は僕の最近の働きのことを
聞いてくださっていた。

次第に、牧師夫人がKGKの主事を
していた頃の話になった。

I主事によると、初代総主事だったA主事とT主事は、
学生とあまり関わる主事ではなかったようだ。

A主事は本の人
T主事は電話番

+他国・世界の諸集会への出席

というのが、I主事から見た二人の主事の働き。

おもにI主事が、全国の学生たちを指導し、
聖研を立ち上げる責任を担っていたようだ。

I主事着任当時は、関東地区にA総主事、T主事の他は、
関西にB協力主事がいたくらい。

「九州以外は全部行ったわよ」

とさらり。

「金沢大医学部、山形大とかも行ったわね」
「赤いボストンバッグ片手に全国どこでも行ったわ」

また、

「毎週12校の学校に行っていたわ」

とも。

恐るべし…

とにかく学内聖研を開拓し、学生たちを育てるために
全国津々浦々駆け巡った主事だった。

当時は学生紛争の影響もあり、
学生たちは質問を矢継ぎ早に
主事に浴びせてきたよう。

I主事は、それらの質問に聖書から答えるか
ということを大切にしてきた。

答えられない時は、

「次回まで待っていてて」

と言って、次回には必ず調べて答えていたよう。

「主事がこんなものかと侮られてはいけないのよ」

と言っていた。

だから、週に12校回りながらも、

「週2回神学校で聴講していたのよ」

と、またさらり。

聴講という立場だったため、教師からは
試験は不要といわれたのだが、
それじゃあ意味がないということで、
試験も本科生と一緒に受けていたよう。

そのためか、僕が4月から神学校を行くことも
喜んでくれた。

また、ある時学生たちが夏期学校か春期学校を
日曜日に重なる中で計画していた。

I主事は

「KGKは教会がまず基本だから、それはありえない。
それに日曜日は教会学校の奉仕があるでしょ?
このまま開催しても、参加者の学生は土曜日には帰るわよ。」

と学生たちの計画を止めさせようと説得した。

他方、さきほどのA総主事やT主事は、

「彼らは一度失敗してみないとわからないですからね」

というものだった。

結局、学生たちはそのまま合宿を行なった。

その結果、土曜日には多くの学生は翌日の礼拝、奉仕のために
帰ってしまった。

残ったのは、準備委員5?6名と講師とI主事だった。

準備委員の学生たちはこの現実を重く受けとめ、
悔い改めたそうだ。

I主事は主事生活を振り返った時に、
この出来事が一番強烈に残っていると
話していた。

この準備委員たちは卒業後、各地で牧師をするようになった。

そして、I主事と出会う時に、この出来事を
振り返って話すそうだ。

I主事はこの文脈の中で、

「KGKは将来牧師となるような学生を育てていく使命があるのよ。
私はそのことをいつも覚えて学生と接してきたわ。
KGKの主事はある意味学生の責任(牧会上の)がないから、
バシバシ言えるのよ。これは神様の恵みだわ。」

と主事論、KGK主事という立場だからこそできることを
力強く語ってくださった。

そして、

「私はKGKの主事をずっとやっていたかったの」

と。

KGKの主事の働きは本当に充実していたようだ。

でも、主事をしていた時に、現在の教会の牧師と出会い、
結婚をされて、牧会に専任することとなった。


KGKの草創期にI主事あり。

そのパワーに触れ、

「俺も、もう少し頑張ろう」

と思って、家へと帰った。


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