KGKヒデ主事の徒然日記

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忘れかけてたmy revolution

九州地区の春期学校で語った
自分の説教を聴いてみた。

自分の説教を聴くのはかなり久しぶり。

自分のものなのだが、何だか少々緊張した。


自分が語っているときに伝わっている感触と
一聞き手として聞いているときの理解の感触には、
多少のズレがあることを感じた。

自分では落ち着いて語っていたように思っていたが、
声に堅さを感じ、緊張していたことに気づいた。

というか、僕の説教はいつも何か堅いんだと思った。

語り口が堅い。

言葉が堅い。

スムーズでない。

つまり、話し言葉として流暢に
語れていない。

これらは説教において本質でないと
言ってしまえばそうなのだが、でも、
大事なことのように思う。

というのも、自分の説教を聴いていて、
何か自分は偉そうで、悟っているかのような匂いがした。

聞き手としたら、聞きにくいんじゃないかと思った。

でも、今回の九州の説教では、自分の証し(例話)を
ふんだんに入れた。

だから、これまでよりは聞きやすかったと思う。

笑いや頷きも珍しく起こっていた。


でも、まだ堅いなと思った。

「そんなに堅さを否定しなくても?」

と思うかもしれない。

別に堅さが悪いわけじゃない。


御言葉が持つメッセージの堅さや確信は
もちろん伝えたいし、緩めちゃいけない。

でも、僕という器を通して御言葉が取り次がれる時、
それ相応の伝え方というものがある。

それに相応しく語りたいということである。

そのためには、今の説教の言葉遣いや言葉の語感の持つ
堅さを取り除くことが必要なのではと、僕の場合は思う。

このブログを書くような言葉遣い、語感、タッチを
もう少し取り込めていければと思う。

頭ではわかっているんだけど、
これが難しい。

説教はまた人格があらわにされるから、
そんなにすぐに変わるものでもない。

時間をかけて自分自身と向き合っていこう。

P.S.
久しぶりに題名を遊んでみました?
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