KGKヒデ主事の徒然日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

自分の整理のためです

教会史入門
昨日(月曜日)、神学校の聴講が始まった。

教科書も渡された。

その中の一冊に、

「教会史入門」

という本がある。

書名を裏切らない、教会史の入門のテキストである。

こう言うのも、早速今日読みきってしまったからだ。

140ページで、平易な日本語で著されている。

が、私がブログとしてまとめると、それはかなりな分量。

長いのは読みたくないという方。

今日は控えた方が良いかも…

今日のブログは皆さんのためというよりは、
僕自身の整理のためという側面が強い内容に。
(お許しください)

では、覚悟を決めた方だけ先に進んでください(笑)


初代のエルサレム教会に始まり、教会はユダヤ、サマリヤ、
および地の果てにまで広がっていった。

その後、教会は激しい大迫害の艱難期を過ごす。

そして、コンスタンティヌス大帝の「ミラノ寛容令」により、
およそ300年の迫害の時代は終わりを告げる。

その後は信条を巡って、教会は東西に分裂する。

修道院が発達し、神学もより思索を深め、
教会(教皇)は、国家(皇帝)に対して権力を
持つようになっていく。

十字軍は教皇権が最盛期だったころの象徴と言える。

この中世は、トマス・アクィナスの「神学大全」によって
「スコラ神学(理性と信仰の調和)」が発展した。

彼の死後はその反動としてドイツを中心にして
「神秘主義」が起こった。

その中心はヨハンネス・エックハルト。

しかし、信仰における個人的な経験を重んじる
神秘主義の教えは、教皇至上主義に疑問を抱く
風潮を抱かせた。

その後教皇権は衰退を辿り、教会分裂の時代へと向かう。

こうした状況のもとでカトリック教会の革新を聖書の信仰に
基づいたジョン・ウィクリフが登場する。

彼は「宗教改革の暁星」と言われる幕開け的存在だ。

その後は私たちにも馴染みのある人物たちによって
宗教改革が為されていく。

ドイツにおいては、マルチン・ルター。

スイスにおいては、ツヴィングリ、ジャン・カルヴァン、ファレル。

カルヴァンは、ジュネーブ信仰告白も有名だが、
やはりキリスト教綱要は圧倒的であったようだ。

「宗教改革の信仰の表明であると同時に、
プロテスタントの最初の、そして最大の組織神学書であった。」
(本文より)

宗教改革はイギリスを始め、その他の国にも飛び火していく。

イギリスでは聖公会が生まれた。

カルヴァンに深く傾倒していたクランマー大主教が、
聖公会の教義の42条(後に39条に修正)の起草に関わっていた。

スコットランドでは、ジョン・ノックスが中心となって、
カルヴァン主義による「スコットランド信条告白」が作成された。

ネーデルランド(オランダ、ベルギー)では、ギド・ブレによって、
カルヴァン主義に基づく「ベルギー信条」が作成された。

その後は「ドルト信条」が作成された。

このようにヨーロッパでは、カルヴァンの影響を深く受けて
信条が次々と形成されていった。

その一方、カトリックの内部でも教会刷新の動きがあった。

これを「対抗改革」と呼ぶ。

イエズス会の活動とトリエント総会議の2つである。

元軍人イグナティウス・ロヨラによって始まったイエズス会。

プロテスタントによってヨーロッパで失われたものを
東洋や新大陸において獲得しようとするために、
世界伝道に果敢に力を入れた。

フランシスコ・ザビエルはその一人であった。

トリエント総会議は1545年?1563年までに断続的に
開かれ続けた。

中世以来の教会伝承・習慣を承認し、
カトリックの権威回復への努力をした。

それと同時に、教会制度の改善、聖職者の養成など
新しい歩みも見られた。

対抗改革はヨーロッパにおいてプロテスタントとカトリックの溝を深めた。

それはドイツにおいて宗教的紛争に介入し、30年戦争が勃発した。

ヨーロッパの野を流血で染めることになってしまった。

イギリスではピューリタンが信教の自由を求めて、
メイフラワー号に乗り込んだ。

ニューイングランドの幕開けは1620年。

まずは会衆派に属する教会が生まれた。

長老教会、ルター派、クエーカー派、聖公会も新大陸に
乗り込み、教会を形成し、大学を作っていった。

しかし、教会の活動も安定期を迎えると、
宗教的熱情は冷めてくる。

そのよう中で、信仰復興運動が起こった。

ジョン・ウェスレーの協力者であった
ジョージ・ホイットフィールドは、
ニューイングランドに渡り、人々の信仰を呼び覚ました。

1740年代の終わりに近づくと、
この運動はすぐに下火を迎えたが、
与えた影響は小さくなかった。

ジョナサン・エドワードによって
「ニューイングランド神学」と呼ばれる
アメリカ神学が樹立された。

彼の神学は、正統的なカルヴァン主義に
倫理的唯理的な思索を加えている。

それは神の絶対的主権に対して、
人間の自由と可能性と責任が強調され、
修正カルヴァン主義と呼ばれている。

ニューイングランドに限らず、
17?18世紀は、ドイツやイギリスを中心にして、
敬虔主義運動(より深く自己を省察し、聖書の真理に生きる)が
起きた。

フランクフルトのルター派牧師のフィリップ・シュペーナー

イギリスのジョージ・フォックス、ジョン&チャールズ・ウェスレー

は代表的な人物である。

さて、19世紀はキリスト教伝道史からながめると
素晴らしかった。

しかし、19世紀の教会は過去の教会が抱えていたものとは
全く異なる問題と対峙することとなった。

それは近代科学を背景とする「人間至上主義」

20世紀に入ると、教会は反省期を迎えた。

教会はいかにあるべきか?神学はこのままで
人を救い得るのか?と、真剣に考えた。

スイスの片田舎に住むカール・バルトの
危機神学は人間の可能性を否定して、
救いの可能性を神の絶対性を強調し、
救いの根源を啓示に求め、教会は再び命を
取り戻した。

その後「福音派」と呼ばれるグループが隆盛する。


僕の知識は教会史の入門の入門に過ぎない。

しかしそれでも、教会が、神学が、信仰が、いかに
積み重ねられてきたものであるかを覚える。

その歴史は私たちの歩みを謙遜にしてくれる。

歴史を見る時、その時代の教会の限界を見る。

これは単純にある時代の教会や、神学を歴史から
切り取って、批判することはできないことだと思う。

また、教会が守り続けてきた同じ信仰の告白を見る。

私たちの信仰の重みと確かさと広がりを覚える。


ここに書き記したものは、私が「教会史入門」を読んで
まとめたものに過ぎない。

つまり、これが教会史だと言える代物ではない。

理解に食い違いがあるかもしれないが、
そのことを考慮して読んでもらいたい。


それにしても長くなってしまった…


別窓 | 未分類 | トラックバック:0
∧top | under∨

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| KGKヒデ主事の徒然日記 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。