KGKヒデ主事の徒然日記

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初めて出会った公式

火曜日のこと。

最近はあまりTVを見ないのだが、
久しぶりに「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。
(毎週火曜日にNHKで23時から放送)

「障害学」

という分野を研究されている東大の教授が、
爆笑問題の二人と対談していた。

その教授自身は、9歳で光を失い、
18歳で音を失った。

「宇宙空間に放り出されたような孤独を感じる」

と氏が語っていたのは印象的だった。

光と音を失った世界には、
もはや自分の存在しか感じられなかった。

後天的なことだったゆえ、なおさら、
ショックは大きかったかもしれない。

その後、指点字と言われるコミュニケーション手段により、
再び、言葉(交わり)の世界へと戻ってくることが出来た。

爆笑問題のOは、その先生に対して、

「障害を持っていている人には天才的な芸術家や科学者がいる、
その人たちは障害を持っているからこそそういう能力に目覚めたともいえる。
健常者と障害者を比べたときに、どちらが"障害"といえるかわからない。」

と言っていた。

それに対して、教授は、

「社会から障害と取り扱われるのが障害。
天才的な人たちがいるからどっちがプラスかマイナスかわからない
というような甘いものじゃない。」

と答えていた。



最近、障害という表現を使わなくなってきたらしい。

そこに差別的な響きがあるからだ。

しょうがいと記すにしても、「障碍」と書いたりする。

もしくは「個性」とまで呼んだりする。

こうすることによって、少しでもイメージを和らげようと
し、そうした方々に対する蔑視をなくそうとているのだろう。


しかし、そんなに甘いものではないと、
この教授は訴えていたのである。

ましてやどっちが障害だなんて言えるようなものではない。


番組の最後に語っていた教授の言葉は非常に印象的だった。

「絶望=苦悩?意味」

これはヴィクトール・フランクルの言葉だ。
(※フランクルとは、アウシュビッツ収容所での体験を記した
「夜と霧」で有名なスイスの精神科医)

絶望とは、苦悩から意味が失われたときに陥るものであり、
苦悩そのものは絶望でないことを意味する。

教授は時代もちがければ、国も違うが、同じように
苦悩の意味を考え、また同感できる人に出会えて、
非常に慰められたようだ。

教授は右辺の「?意味」を左辺に移項したら、

「絶望+意味=苦悩」

になると説明していた。

意味とは絶望と思える苦悩の中にあっても、
生きる希望を与えるものだろう。

光と音を失った教授の言葉だからこそ、
このフランクリンの公式の引用には、
ずしりとした人生の苦悩の重みが感じられた。

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