KGKヒデ主事の徒然日記

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給食伝道

荒川の河川敷。

路上生活者が約300人程集まる。

みな男性。

10人ごとの列が整然と30強続く。

最初は礼拝。

讃美が始まる。

慣れた感じで讃美が歌われる。

歌詞を見ながら一生懸命歌う人。

退屈そうに歌う人。

黙っている人。

礼拝に対する思いは明らかだ。

続いて主の祈り。

「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」

が祈られる。

「われら」
「日用の糧」
「今日も」
「与えたまえ」

目を瞑りながら暗誦していた人もいた。

この祈りがどれほど切実なのだろうかと思う。

ここには、2?3時間かけてやってくる方々もいるようだ。

続いて説教。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのもとに来なさい。」

300人の路上生活者にこの御言葉はどう聞こえたのだろうか?

気休め?
自分とは関係ない?
ここに慰めがある?

この方々に御言葉を語り抜くこと。

それは私たちの人生も試されているようだ。

30分程度の礼拝を終え、いよいよ給食。

まずはでっかいベーグルを各自に2つずつ支給。

学生と一緒に列の先頭の方に、
リレー方式で渡していく。

受け取る方は慣れている。

しかしビニール袋から取り出して誰も食べようとはしない。

これは別の機会に食べるために、
とっておくのだと思われる。

またメインディッシュもこれからだ。

ご飯の上に野菜とお肉がたっぷりのお味噌汁が
かけられる。

さらに、キムチと玉子焼きが上に乗る。

ボリューミーだ。

これを両手にもち、300人の路上生活者のもとに向かう。

僕はふと思った。

この両手にもっているご飯。

それはイエス様の愛なのだと。

説教で語られた、
イエス様が私たちと人生を共に歩んでくださる、
助けてくださるということ。

それはまさしく今僕が両手に持っているご飯ではないかと。

そう思ったとき、
この働きが「給食」ではなく、
「給食伝道」だとわかった。

これはイエス様の愛を具体的に伝える働きなのだ。

確かにお腹を満たして帰って欲しい。

でも、知って欲しいのは、イエス様の愛。神様の愛。

食後は無料で薬を配ったり、
簡単な診断もしてくれる。

毎週水曜日の午前中に病院を
休んでここで奉仕をするドクターも来ている。

荒川の河川敷。

イエス様の愛が満ち溢れる。
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