KGKヒデ主事の徒然日記

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親父を目の前にしての説教

所属教会の礼拝説教奉仕が、
他の教会での場合と違うこと。

2、それはうちの親父がいること

うちの親父はノンクリスチャン。
息子が説教するということで、
親父が2週連続で礼拝に来てくれた。
所属教会だからこそいる聴衆。
教会員以上に自分のことを知っている人。

うちの教会では礼拝の最後(説教後賛美と頌栄の間)に、
バイブル&フェローシップという時間がある。
これは説教の分かち合いを各会毎に行なう。
時間は10分程度。

親父は壮年会のところに連れて行かれ、
僕もこの時ばかりは壮年会のところに出席。

僕はピリピ人への手紙の1章を2回にわたって、
講解した。

親父が説教の感想として分かち合っていたことは、
2回ともだいたい同じだった。

「いやーパウロはすごい。投獄されれるという
苦しみの中にあっても、ピリピ教会のことを思うその心遣いが。
また、そうした中でも喜んでいられるというのが」

僕としては、説教の中心は、もう少し別のところに
あったので、正直「親父、そこかよ?」
という残念な思いもした。

O主事がうちの教会で説教してくださった時の
レスポンスは良かったので、

「おっ、うちの親父も説教をちゃんと聞いているじゃないか」

と感心し期待していたのだが…


まあそれは僕の提示の仕方がうまくなかったのだろう。
また、親父にピリピ書が難しかったというのもあるだろう。

しかし、親父を前にして講壇に立つというのは、
何ともこれまた説教者として、伝道者として
心のうちに燃えるものを感じた。

今度こそ親父に説教の中心を掴んでもらえるような、
そんな説教ができるようと願う。


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