KGKヒデ主事の徒然日記

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聖研で主事の存在意義を考える

さて、学校訪問の季節なり

早稲田、上智、N大

と今週は学校訪問weekなり


主事は学校訪問してなんぼだと改めて思う


早稲田は新歓で、上智、N大は聖研


聖研は、聖書が開かれ、学生たちがどのように聖書を読み、解釈し、生きているかと出会える場

ここを知らずして学生伝道ができるはずない、
と改めて思う

主事は彼らの読み方・生き方に寄り添い、
自らの読み方・生き方をそこで共有していく

共有の仕方は学内によって異なるし、どれくらい出すかの按配が妙

主事力が試されるところ

あまり出しすぎても煙たがれる
学生たちのいいものが消されてしまう

あまりにも出さなすぎては何のために来たの?と思われる
いい意味での影響力が全然ない

主事とは難しいのだ

主事力は日々自己吟味し精進しなければ獲得できないのだ

学生の交わりの中で鍛えられるのだ

それぞれの主事力が各学内でちょうど良く出るように、
みなさん祈ってくださいね


今年もどうぞよろしくお願いします


しかし、聖研は楽しいな~

先の三校には嬉しい未信者の新来者が!

110509_1928~01

早稲田の新歓より
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