KGKヒデ主事の徒然日記

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軽々しい福音

「神はあなたを愛している」
「神はあなたを助けてくれる」

クリスチャンにとってある種の常套句と言える。

しかし、こうした言葉は、語られるタイミングや
語るもの自身の人格、相手がこれまで過ごしてきた人生などに
基づいて発せられ、聞かれる。

それゆえ、人を慰めるはずのメッセージが、
逆に相手を苦しめたり、怒りへと駆り立てることがある。

それは、その言葉を発する者の人間理解や人生観の浅さのゆえともいえる。

「なぜ、こんなに苦しいことばかりの人生なのか?」
「死んだほうがどんなに楽なことか」

奈落の底にいるような苦しみと絶望、生き地獄とも思えるような人生

だから、教会に一縷の望みを持って訪ね、通い、聖書を読み始める。
そして、神がどのような方か少しずつわかってくる。
しかし、依然、神の助けは来ないと、もがく。

「結局、ここにも救いはないのか?」

そのように毎日を生きている人は実際にいる。

そうした人を前にしても、

「自分は慰めの言葉を持っている。
なぜなら自分は聖書から真理(神がどんな方であるとか)を
知っているから。」

と、聖書のことばを振りかざそうとするならば、
私たちは聖書を引用しながらも、相手に大きな躓きを与えることに
なってしまう。

日本は伝道が困難だとよく言われる。

福音を宣べ伝えていないことに原因を見ようとする。

しかし、それだけが原因なのだろうか?

福音を安価で軽いものにして、相手を見ずして語り過ぎてしまうことに
その一因はあるのではないだろうか。


ところで、なぜこのようなことを書いたのか。

そうした友を身近に持ち、自らの語る言葉の限界と
愛の貧しさを思い知らされたからであった。
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