KGKヒデ主事の徒然日記

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交わりを考える

ご存知の通り、KGKは「キリスト者学生会」の略。

キリスト者の群れである。

でも、それは、キリスト者「だけ」の群れを目指しているわけではない。

しかし、いつの間にか、

「ここはノンクリスチャンも入っても良い。でも、ここはクリスチャンだけ」

という境界線を作って交わりを作ってしまうことはないだろうか?


こうした問題意識が、今年の実行委員会の中にある。

今日のミーティングでもそうしたことが話題に上った。


考えてみれば礼拝にはクリスチャンもノンクリスチャンもいる。

クリスチャン専用の礼拝とノンクリスチャンが混ざった礼拝、
2種類があるわけではない。

しかし、こと交わりとか、集会、キャンプとなると、そうしたことが生じてくる。

でも、それは本来の交わりなのか?

時々聞く言葉に、

「やっぱり深い交わりをするには、クリスチャンとなんですよね。」
「ノンクリスチャンがいると、分かち合いにくいんだよね?」

というものがある。

クリスチャンゆえに、同じ価値観に立ち、色々と分かり合えるという現実が
あることは確かだろう。

しかし、そのことによって、交わりをクリスチャンだけ用と
ノンクリスチャンいる用(つまり、伝道用)でわけてしまうことで、
見失われてきたものはないだろうか?

「KGKの交わりが内輪だ」

ということはKGKの中でよく課題としてあがる。

それはこうした交わりのあり方を吟味するところからではないかと思う。

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