KGKヒデ主事の徒然日記

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クリスマス会から思うこと?

昨日からの続きです。

しかし、昨年のクリスマス会の様子(出席者の割合)を
色々な主事から聞いたり、
また、私が担当するブロックのクリスマス会の出席者を見たりした時に、
あまりにも未信者の出席者が少なかった。

20?30人の出席者がいても1?2人の未信者の出席だったりと、
私が知る限りのクリスマス会はどこも軒並み少なかった
(そうではないところもあるかもしれないが)。

かく言う私が担当するブロックでのクリスマス会には、
どちらも残念ながら未信者が参加できなかった。

しかし、クリスマス会が終わると、

「いや?今年もめっちゃ良かった。イエス様が誕生してくださって本当に良かった」
「今年はクリスマス会(やそこでの説教が)何本あったかな、1,2,3…」と
私たちはある種の自己満足に耽って終わってしまうことがある。

もちろん、人数が多い、少ないという一面でクリスマス会を評価し過ぎると
結果至上主義になってしまい、主事は学生たちに営業会議のように「とにかく未信者を誘って来るんだ!」と声高に叫ぶだけになってしまう。

そして、そこだけで評価してしまう危険性がある。
もちろん、こうしたことには陥りたくない。

そして、KGKはこうしたことを意識的に避けてきたと思う。

一人一人の人格としっかりと対峙し、向き合っていく中での伝道を大切にしてきた。

けれども、それを承知の上で申すのだが、
数字が物語る現実を私たちはきちんと受けとめる必要がある。

「クリスマス会になぜ未信者が来なかったのだろうか?」
と問うことは学生にも主事にも意味があり、
実は大切なことに気づかせてくれると思う。

しかし、こうした問いを学生も主事もきちんと問うてきただろうか?

これは私見かもしれないが、たとえば何かしらの集会を開いた後に、
その集会の内容や運営方法について問うことはよくする。

しかし意外と出席者数のについては「アピールが足りなかったから」という一言で
評価を終わらせてしまっていることがあるように思う。

これが聖研やブロック祈祷会だと問うことするやめてしまうことがある。

「今は仕方がない。」「うちはこういうブロックだから」と。

クリスマス会も毎年の恒例行事になってしまって、
もしかしたらあまり問われることなく終わってしまってははないだろうか?

学生たちにとっては、自分が学校で未信者の友人と1年間どう関わってきたかが問われるのがクリスマス会と言えるかもしれない。

また、主事としてもどう学生たちに伝道を励ましてきたかが吟味される時であるかもしれない。

数字が語りかける声に学生も主事もしっかりと耳を傾け、
そこから気づかされる現実を受けとめ、考えていくものでありたい。

本年も皆様の祈りと助言によって、私たちの歩みを支えて頂きたいと思います。

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